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無理が通れば道理が引っ込む

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昔、設計事務所にいた頃。
カタログ(タイルやビニールクロスなど)を見ながら設計をしていると上司に怒られた。
「本物を見て設計をしろ!」と。

「レンガ積みの建物を知らずにレンガ風タイルを使うな!」
「石造りの建築物を知らずに石を仕上げに使うな!」
「2度もウソをつくな!(石調を石では出来ないような使い方をするなという意味)」
そう言われた。

その頃、そう言っていただいた事は、フェイクだらけの今だからこそすごく役に立っている。
ちまたに出回る偽物から本物を見分ける目を得た。

でも、「無理が通れば道理が引っ込む」。
本物であることがどれだけの人が重要だと思っているのか?
フェイクだらけで大半の人が本物を理解しないのに、本物である意味があるのか?
そんなことすら脳裏に過ぎってしまうぐらい、フェイクで溢れている。

一方的なものさしからのスペックや数字ばかりが出回り、その事だけは探求されているが、カタチの意味や感覚に訴えかける間合いや文化や、、、そういった数値化できない部分に対しては、価値を見出せないほどのフェイクがフェイクで無くなっていると感じてしまう時もある。

本物はそもそも一部の人のものだったんだけど・・・。
多くの人が手にできることは、とても素晴らしいことだけど、多くの人が手にしてしまうと無理が通ることもある。

本物であることは実はそんなに大げさな事ではない。
当たり前のことを当たり前に、自然の摂理に逆らうことなく自然のままにすれば本物になる。
しかし、この当たり前のことを当たり前にするのは、結構大変ではある。
フェイクを組み合わせる方が容易いし、しかもコストも本物に比べ格段に安い。

本物は手間の割には割に合わないような金額になってしまうのは、あまりによく出来たフェイクと比べられてしまったりするからかも知れない。
本物をつくることは、もはやつくり手のプライドに頼らなくてはならないほどだと感じる(お金ではなく誇り)。

まぁ、この時代。
何が本物かすら疑問だ。
何を持って本物とするのか? 価値観が多様化しすぎて、もはや共通認識の本物など残り少ないのかもしれない。
自然の摂理に従い、自然淘汰されていくのなら、もはや本物ではないとすら言えるのかも知れない。
プロの間でだけもてはやされる事は、そんなに意味のある事ではないのかも知れない。

ただ、自分は自分が感じる原理原則に沿いたいし、上司に言われて学んできたことは大切にしていきたい。

  by ecru-societe | 2009-04-15 00:00 | 日記 | Trackback | Comments(0)

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