考えて欲しいこと
「解る」ってことと「感じる」ってことは、感覚として似ているけど、行動に置き換えると明確に差が出る。
「旨くなりたい」って10人が言葉にすると、10人とも同じ音として発音できるけど、その中身は十人十色で、誰一人として同じ意味ではない。
「サッカーが好きで、サッカーが旨くなりたい」と長男は言うけど、、、
例えばドラゴンクエストで頑張って竜王の城の竜王の玉座までたどり着いてもどうしても竜王と戦えない。 そこで、ドラクエをやっている友達に「どうすれば竜王と戦えるのか?」と聞く。
「玉座のうしろに風を感じた?」と逆に聞き返される。
その意味が解らないから、解るまで何度も友達に聞き返す。
それはどうしても次のステージに進みたいから。
多分、それが「好き」ってこと。 「好き」ってことが熱心さを引き出す。
例えばサッカーで監督に「相手ディフェンスとパスを出す人の両方が見える位置でポジションを取ってボールをもらえ!」と言われて帰ってきた長男。
「それってどんなポジションか絵に描いてみて!」と紙とペンをわたすと長男は「・・・・・」。 紙の上に描くことが出来ない・・・。
そんな長男のサッカーが好きってことって。。。
多分、監督に言われた時には、何か観えた気が長男の中でしたんだとは思う。
でも、それがカタチにできないのは、きっと「解る」ってことと「感じる」ってことの違いなんだと思う。
サッカーは長男の中でやりたくて自発的にしているのか?
はたまた、やらされているのか?
もし、やらされているとしたらそんな時間はもったいないから、子供なんだからもっと楽しいことに時間を費やして、自発的に行動を起こす人に成って欲しいと思う。
わたしがサッカーをする長男に期待していると、長男が誤解しているのなら、、、
悲しい誤解だ。
そもそも自発的にサッカーがしたいのなら、習う必要は無い。
習わなくても自分で調べて自分で答えを出して、勝手に自分で旨くなっていくだろう。
もちろん、そういう人にとっては習った方が時間的に短縮できる部分もあるかもしれない。
でも、時間の短縮ってのはどの時間軸で考えるかによって大きく意味を変える。
長い目で観た時、自ら歩んで来た人のほうが、得てきたものは多いことは可能性として大きい。
でも、長男はサッカーを教わっている。
教わっているのは今より旨くなる為。
でも、旨くなるのは自分。
教わっているから旨くなるわけではない。
結局は自分。
「サッカーが好き」ってこと。
「解る」と「感じる」ってこと。
「習う」と「旨くなる」ってこと。
ちょっと長男に考えてもらいたいと思う昨日の試合だった。
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by ecru-societe | 2009-05-31 19:56 | 家族・地域 | Trackback | Comments(0)