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シリーズ うちの次男

いつも次男のサッカーを見に行くと、思いやりとお節介の境だったり、愛の難しさを考えさせられる。

今日は久しぶりに次男のサッカーの試合を見に行った。
(あまりに寒くて、風邪をひいてしまった。。。)


長年、次男のサッカーに関することを見てきて、自分なりに理解しようと色々考えて、昔よりはちょっとはリアルに理解できて、その結果、僕は次男のサッカーを見に行かなくなった。
いや、見に行く必要がなくなったと言った方が、正しいかな?(笑)

だけど、今日、見に行くと、やはりまた同じことを考えさせられる。


そもそもコミュニケーションとは、共通の認識を高める事で、互いに理解しあうために行うんだと僕は思う。
でも人には想いがあって、その想いが愛だって錯覚してしまうくせがある。
また自分の潜在的な願望には自分では気付けず、顕在化している希望を相手に伝えることで、相手はそれを願望と勘違いして熱心にそのことに取組んだりする。
これで出来た行き違いによって、ネガティブな感情だったり、怒りだったりが発生し、連鎖するのを何度も見た。

そのことで言葉や表現、つまりコミュニケーションを建設的ではないことに利用してしまったり、むしろ破壊的な表現になったり。。。


次男のサッカーを見てて思うことは・・・
「サッカー」という言葉の定義の不一致みたいなことがたくさん存在している事だ。
僕はいつも次男の見方で、次男の言う「サッカー」が実現できて、それで次男が満足していれば、それでいいと思っている。
僕にとって、そのことが次男の見方って意味でもある。

そして何も手を加えなくても次男の言う「サッカー」は、実現してて、僕が手伝う事は何もないって僕の中で認識(理解)されているから、だからそのことが次男のサッカーを見に行かなくなった原因だ。
つまり、既に満たされている。


僕が理解している次男の言う「サッカー」とは、
それはヒカリやこうちゃんやまっちゃん、りんりんやよしき達、みんなでボールを追っかける事だって理解している。

次男はみんなとボールを追っかける事が大好きで、それ以外のことは本当は切望していないって理解している。

もちろん、今よりうまくなりたいと思ってるのは事実だろう。
でも、サッカーが好きって意味の原点は、そこにあるんだと思う。
だから、例えば監督に指導されて、監督の意図するところへの理解があいまいでも、それを明確にしようとはしない。
「ハイ!」とは返事はするけど、それは反射神経的なものであって「了解しました!」という意味ではない。

監督はきっと「了解しました」って受信している。
そして監督は子供達がした約束を信じ、また監督が考える、子供達がサッカーから感じられる喜びのために誰よりも力を尽くされる。

だから大きく行き違い、、、
愛が落胆を生み、、、


これに似たことが監督や親や子供達の間でたくさんあって・・・

それぞれの「想い」や「理解」や「認識」や「概念」や「温度」や「知識」・・・・・
そんな色んなものの不一致やひらきが、決して解決や結果には至らない、限りなく無駄に近いと感じてしまう事へとつながっているのが、すごく多くの時間が犠牲があるのに残念に思うのはきっと僕だけなんだ。


僕は次男の見方。
次男の想いを実現するためには協力したい。
僕はいつもそれだけ。

誰にどう思われようと、次男の想いが実現できるのなら、それが一番いい(笑)。

  by ecru-societe | 2011-04-24 23:45 | 家族・地域 | Trackback | Comments(3)

Commented by iro_tori_dori at 2011-04-25 01:26
なるほど!
すごく分かりやすい!


集団である以上、さまざまな不一致はどうしようもなくあって

でも
その集団がグループではなくチームだとしたら

『個人の想い』とは別に
『チームの想い』をお互いに話し合って決めて
共有することが必要なんでしょうね。

もしくはもともとある『チームの想い』に賛同する人のみが
チームのメンバーになること。

そうでないと
それぞれのビジョンや目標が
目的とずれてしまう。


なかなか大人の社会でも難しいですね。

チームのリーダーの役割は
個人の目的を尊重しつつ、共有する目的を明確にすること
にあるのかもしれませんo(^-^)o
Commented by ecru-societe at 2011-04-25 09:13
「じゃあ塾やめるか?!」
そう親に言われた時、必ず反射神経的に『イヤ!』って言うのが子供で・・・。
塾に行くの楽しいって思ったことなんか一度も無くて、むしろ塾に行くのが嫌なぐらいでも、塾を止めちゃったら親ががっかりするって思ってかな?
『止めるのがイヤだ』って言う。
ほんとは、止めるのがイヤじゃなくて、親にがっかりされるのがイヤって意味なんだけどね。

同様の不一致が繰り返されてきた。

だから僕はゲンの見方って立場を貫こうって思ってる。
ゲンに何かを期待するんじゃなくて、ゲンの見方。
(実際は期待をしているのと同じ状況になっちゃうこともあるけど)

ゲンに必要とされる時、応えられる力を蓄えておくことが、僕のすべきことかな?


>チームのリーダーの役割は
>個人の目的を尊重しつつ、共有する目的を明確にすること
>にあるのかもしれません

全くそのとおりだと、僕も思います。
個人の目的や能力や個性って表現されるものを、集団の目的達成のために役立てるマネジメントや、個人の尊重と団体の尊重のバランスみたいなのをみんなに示していくのが、リーダーの役割のひとつだって思います。
Commented by ecru-societe at 2011-04-25 09:28
●iro_tori_doriさん
タイチがチームを替えた訳は、タイチ自身が元々のチームの想いの理解に誤りがあったというか、認識が低かったためだって、僕は理解している。

ゲンがまだYASHIRO.JFCにいる訳は、ゲンのNEEDSとチームのNEEDSの不一致に、ゲン自身がまだ気付いていないからなのか・・・、今も調和を図っている最中なのか・・・。
でもそのどちらかでないと、みんなが不幸な結果になってしまう。

僕が出来ることは、ゲンの選択を理解して信じること。
僕はそう思ってます(笑)。

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