シリーズ うちの次男
どんなに厳しい状況下に置かれても『希望』がそこから抜け出す力の源となる。
希望とは言い換えると・・・例えば
根拠が薄い状況で「出来る気がする」という感情。
胸の奥が熱くなり、ポジティブな感覚が湧き出ている状況。
そんな感情をここでは『希望』と表現する。
この感情が使い方によってはよくない結果をもたらす時もある。
以前、次男が夏休みの目標に「ゲームをせず、サッカーの練習をする」と決めたのは、『希望的観測』がそうさせた。
つまり現実を冷静に見ない『希望』を抱いた時の脳内にアドレナリンが多く出ている状態での判断だったからだ。
きっとその瞬間は「出来る気がする」と強く思えたんだろう。
今日は一日子供のサッカーに振り回された。
南へ走り、北へ走り、車がないとサッカーも出来ないのは福井だからだろうか?
親の力を多く借りないと福井ではサッカーも出来ないみたいだ(笑)。
何を犠牲にして、何を得るのだろう?
きっと誰もそんなことも考えないでいるんだろうなぁ~。。。
話を戻そう。
そのサッカーで次男がいつも反省し、課題にあげることがある。
サッカーをしだした頃(幼稚園の頃)から、その内容は全然変わらない。
その内容は、2つあって、
「周りを見る」ということと「声を出す」ということ。
そんなに難しいと思えないこの2つの課題。
どうして6年以上も思うようにはクリアしないか?
その答えを今日は次男と考えた。
そこで見え隠れするのが『希望』だった。
『希望』は具体的な解決策などを持たなくても「出来る気がする」ということで解決した気にさせてしまう。
6年以上も自分で納得のいく成果を出していなくても、「出来る気がする」って気持ちがあるから6年以上も続けてこれた(笑)。
これはある意味、成果ではあるけど、課題に対しての成果は得れていない。
正直、6年も課題が変わらない、つまり成果をあげれないのは、本来なら絶望的な状況だけど・・・
『希望』は絶望の縁からも前を向くことが可能な力だ。
いや。
そもそも課題なんかないのだろう(笑)。
前にも書いたように、次男の(潜在的意識の)中ではサッカーは既に満足に達している。
しかし、チームの目的は、スキルなどの向上にある。
だから(本人が意識できない意味でカタチだけとなるかもしれないけど)課題が出てくる。
こんな状態で次男は6年間も同じ課題をあげている。
技術はかなり向上していた。
ボールの受け方や、身体とボールの位置など、監督のご指導などのおかげでかなりセンスも感じた。
でも課題がかわらない(笑)。
今日は一緒に6年間の停滞を進める方法を次男と一緒に考えて、
今日は具体的なカタチの提案を次男にした。
「目標に期限を決めること」
「期限内に出来なければ、その問題点を明確にし、その問題点をクリアできる具体的な対策を打ちたて試みる」
つまりはPCDAサイクルを提案した。
あと、「周りをみる」「声を出す」って課題に対しても、具体的な提案をした。
ベンチにいる時の重要性とか、テレビなどでプロのゲームを見る重要性。
あとはベンチにいる時、テレビを見る時の見方を意識して変える方法を提案した。
でも、どんなに素晴らしい本を読んだとしても、どんなに素晴らしい人の言葉を聞いても、本人の自覚に勝る特効薬は存在しないんだけどね(笑)。
by ecru-societe | 2011-04-30 23:46 | 家族・地域 | Trackback | Comments(0)