シリーズ うちの次男
例えば、それは「慈悲の心」。
次男は自然にやわらかく人と接することが出来ます。
小さな子やイヌなど動物も、次男になつきます。
僕はそんな次男が愛おしく、尊敬もしています。
しかし、慈悲の心は同時に正義を貫く勇気を持たないと、使い方を大いに間違える可能性がある素質です。
僕はその次男の尊敬すべき素質(才能)に、傷つくことが多々あります。
先日もそういうことがありました。
悪ふざけをした次男の友達にメガネを壊されるということがありました。
次男はその友達をかばってか、正確になぜメガネが壊れたのかを僕達親に伝えませんでした。
「●●君とふざけててつぶれてしもた」
それしか言わないのです。
『メガネはどうやって復旧するつもりなん?』
そう問いかけると
「ごめんなさい。お母さん、買って」と。
『お金を出して欲しいなら、正確な状況を伝える必要があるのとちゃうか?』
そういうとポロポロと重い口を開きはじめた次男。
どうやら・・・一緒にふざけていたわけではなく、着替えている間にメガネを取り上げられ、その子が勝手にころんで潰したのが事実だったことがわかりました。
『ゲンは何を守りたくてその事実を黙っていたんや?』
『友達の立場か?』
『そんなに大切な友達なんやったら、なんで向こうから連絡がないんや?連絡がないって事は親にすら伝えてないってことやろ?』
『つまりはごめんで済むぐらいにしか感じてないってことで、そんな立場を守らなあかんのか?』
『それで親に負担させる。それがゲンの正義か?』
『ほんとはそいつのことを守りたかったんじゃなくて、自分を守りたかったんじゃないのか?』
『正しいことよりたやすいことを選択しただけじゃないのか?』
きっと次男が守りたかったもの。
それは友達だったことは、間違いないだろう。
でも、それと同時に自分であったことも間違いない。
慈悲の心は正義を貫く勇気を持ち合わさないと、甘えやぬるま湯や馴れ合いや、もはや慈悲ではなくなってしまう陳腐なものに変化してしまう。
次男にはうまれながらの慈悲の素質がある。
それを本来の才能として機能させるには、恥を知り、正義を想い、それを貫くだけの知恵や勇気を持ち合わせる必要がある。
優しさとは強さ。
その意味を次男には早く気付いてほしい。
そして素質を才能に変えてもらいたい。
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by ecru-societe | 2012-03-10 00:17 | 家族・地域 | Trackback | Comments(0)