音楽。
皆さん日常の中で、意識したり、もしくは無意識のうちに耳にされていることと思います。
僕は音楽が好きで、自分でも演奏したりします。
昔は友人と音楽活動をしていて、作詞や作曲、編曲などもしていました。
今でもたまーーーーに頼まれると作曲したりします。
と言っても趣味の域を超えず、自分達で楽しむ程度です。
趣味とは言え学生時代から音楽活動をしてきたので、例えばテレビやラジオから流れてくる音楽を耳にした時、もしかしたら一般的な方より受信する情報量は豊富かも知れません。
その情報量の多さから、その音楽の作意への理解は深くなるのかも。
また、仕事上、感覚的に捉える必要がある局面が多いこともあり、音楽を理論抜きに感覚で捉えることも出来ます。
一般的な音楽の聴き方(正しい音楽の聴き方?)は、この方法、感覚的に聴くことが多いと思いますが、僕の場合、仕事上、感覚を研ぎ澄ませる必要があるタイミングがある為、この感覚的に音楽を捉えることに関しても深みがあるかも知れません。
むしろ理論的な捉え方は、この感覚的な捉え方の裏付けだったり、人に説明する時のアイテムだったりに過ぎないと感じる時もあります。
例えばうな重を食べる時。
視覚や嗅覚、そして味覚や触覚など感覚を駆使してで味わっています。
醤油がどうで、みりんがどうとか、炭はどこどこ産で米の栄養素の配分は・・・何てことは、味に殆んど関係なく・・・もし情報を得ることが出来たとしたら、「やっぱり!だから美味しかったんだ!!」って裏付けに過ぎないと思いませんか?
知識とは、感覚の裏付けなのかも知れませんね!
僕の仕事は、お家を設計したり(図面を描いたり)建てたり(工事をしたり)することです。
その仕事の中で当然図面を見る機会が多いのですが、そこで思うことがあります。
僕はプロフェッショナルなので、図面から得る情報は非常に多いです。
もちろん自分が図面を描く時には、非常に多い情報を図面に盛り込みながら描きます。
その為、自分以外の方が描かれた図面を観ると、作意はもちろんのこと、熱意の度合いや環境など、背景まで図面から捉えることが出来ます。
それはちょうど音楽を聴くのに似ています。
図面はどちらかと言うと音楽に比べ論理的にメッセージを伝えるツールなのかも知れません。
それでも感覚的に感じられる何かも確実に存在しています。
「何か違う」
「何かわからないけど、ワクワクする」
図面を観た時、そう感じたら、まさにそれがメッセージかも知れませんね!
そう感じさせるのが「何」ってことを知るには知識が必要で、リアリティを増すにはその知識に深さが必要です。
感覚を裏付ける。
そのことが「あんしん」「満足」「誇り」につながるのかも知れませんね!