ダスティン・ホフマンの卒業。
淀川長治さんの日曜洋画劇場で観た当時は、劇的なハッピーエンドに「良かったぁ〜!」と深く安堵したのを覚えている。
でも歳もある程度とった今となると、そんな事をしてその後、ちゃんと幸せになれたのか?とてつもなくイバラの道だっただろうなぁ〜と、名画を台無しにするような現実的な事を考えてしまう。
ただ、もう一つ思う事もある。
そのもう一つとは・・・
まことしやかに語られている「一番好きな人と結婚すると幸せになれず、二番目に好きな人との結婚が幸せの秘訣」と言う事。
そもそも一番とか二番とかって、どうやって決められるのか?
ありがちなのは、「憧れの人」と「現実的な良い人」
でもやっぱり、生涯で一番好きな人か二番目に好きな人かなんてどうやって言えるのだろう。
誰がどの様に
調べたのか?
シミュレーションしたのか?
願いなのか?
言い訳なのか?
それすら解らないけど、幸せになるとかならないとか・・・
「一番好きな人」と感じさせるポイントは、劇的な体験や運命的な出来事なのかもしれない。
そう言う意味では、ダスティン・ホフマンの卒業の様な経験は、きっと劇的で運命的なので、「一番好きな人」とのイメージは焼き付けられるのかも。
焼き付けられる
焼き付けられない
一番
一番でない
そんな事が問題では無いと思う。
相互に
例えば運命を受け入れ続ける事
例えば一番と信じ(思い)続ける事
何かそい言った事が重要で・・・
もちろんその事が難しい事は承知だが、難しいからこそ、一番とか二番とか悩むのではなく、劇的とか運命的とか刺激に目を奪われる事なく、静かに「信じる」や「受け入れる」といった意味を見つめ直し続ける事が重要なんだと思う。
PS
本当に一番の人に出逢ったら、実は二番など存在しない。
一番と、後はどれでもさほど変わらない並みの人達(73番?)が存在する事を、皆さまのご支援・ご協力あって僕は知っている。