平和を愛する次男
次男はサッカーを習っています。
そこで、次男と同じ学年の子が、下級生に砂をかけて遊んでいました(イジメていました)。
もちろん、次男はそのことは全く知りませんでした。
後日、もしそんな場面を見たらどうするかをきいてみました。
そうすると、、、
「止めねって言う」と次男。
『それでも止めなかったら?』ときくと
「・・・・・・分からない」と。。。
『砂を人にかけるのはやったらあかんことやろ?』
「うん」
『じゃあ絶対に止めさせなあかんのとちゃうの?』
そうわたしが言うと
「殴られるかも知れんやん」と次男。
『殴られたら殴り返せばいいやん。 だって正しいことを言ってるのに殴ってくるやつは許せん!』
『力が正義じゃない! 正義が力なんや!!』
次男は泣いてしまいました。。。。。
ある日、近所の父兄の方からこんなことをききました。
それは学校の帰り道での出来事。
集団下校のメンバーに知的障害の子がひとりいます。
どうしてもその子が違う道を行ってしまったり、ミゾの中を歩いたり、ちゃんとみんなと一緒に帰れません。
そんな時うちの次男はその子にずっとついて歩き、「●●ちゃん。 そんなところに道を見つけたの? すごいね!!」
と話しながら、みんなと離れてもずっと付き添って帰ってくるらしいのです。
決して急いでみんなのところに戻そうとせず、その子のペースで帰って来るそうなんです。
それをきいて、すごく難しくなりました。
次男に何をどう教えればいいのか? そして涙が出ました。
でも、優しさは強さの上にあります。
それは絶対正しいです。
しかし、その強さは、自分に対しての強さで、相手に対しての強さではありません。
みんなと一緒じゃなきゃダメだって思っていない次男は既に強さを持っているのかも知れない。
それともみんなと一緒なことにあきらめてしまっているのか?
多くを語らないうちの子供達(長女を除く)は、何をどう考えているのか?
どうコミュニケーションをとっていけば、話してくれるのか?
ただ、その優しさは大切にして欲しいし、守ってやりたいと思うのでありました。
by ecru-societe | 2006-10-05 00:50 | 家族・地域 | Trackback | Comments(5)
過去に、私はいじめられた経験がありますが、いじめられる方にも責任があるって言われた事があります。その当時はとても納得できませんでしたが、今思うと、その言葉も全否定するのは間違ってるのかも・・・と思うこともあります。男の子だから、やったらやり返せ!っていう強い根性はある意味、必要なのかもしれませんね。
私も今思うと、自分がとても弱かったなって思います。
そして、とても感動したのは障害のある子とお子さんのエピソード。これまた、身内ネタですが、私の家族に障害者がいるもんで、
物心ついた頃から、障害者施設にはよく足を運びました。だから、たぶん人よりは障害者に対する抵抗は少なかったように思いますが、実際、お子さんのような行動を自分が取れるかといったら、疑問形になります。
息子さんは、しっかりと優しさと強さを持つ、立派な少年に成長されてるんですよ。でもそれって、やっぱりエクボすさんの背中を見てきたからじゃないのかしら。
ステキなお父さんを持ってる息子さんがうらやましい!!
長々と失礼しました。
さて、本人に会ったことがあるわけではないのですがエクボすの次男くんはなかなかナイスですね。めがねといい妹さんへの攻撃といいファンです。次男くんは次男くんの正義を持っているのですね。子供のころの正義は非常に難しく正義の捉え方自分の強さが試されてますよね。エクボスの正義が100㌫理解できないこともあるでしょうし分かっていても実行できないときもあるかもしれません。ただ、次男くんのステキなところは成長の過程で自分が上がろうという人種に感じます。自分がその場所に行き着くために人を蹴落とす人種もいます。砂をかけている子達はそのように映っちゃいます。その基本的な人格は大人になっても直んなくてそのまま出ているケースが多いように思います。いじめる側、いじめられる側。だます、だまされる。自分の子供はどちらがいいですか?と質問されたら迷わず「どちらでもない方」って答えますね。やはりその感覚が良いと小さいときから教えられていたように思います。やっぱりせまっちはエクボスに比べるとファジーだなぁと思いました。
>いじめられる方にも責任があるって言われた事があります。
それは違います。
いかなる理由があるにしろ、いじめは卑劣な行為。
いじめたものに全ての責任があります。
いじめられた者に責任があるというのはおかしな理論です。
原因はあるのかも知れません。
しかし、いかなる理由があってもどんな原因があってもいじめは卑劣な行為です。
原因の多くは人と違うことだと思います。
しかし、人と違うことは価値です。
いじめを無くすには、「人と違うことを価値」と認める教育などが必要で、誰の責任かを問うことではないと思います。
ましてや、いじめられている人に責任があるなんて言って、何が解決すると言うのでしょう?
全く建設的な考え方とは自分は思えません。
>自分がとても弱かったなって思います。
次男を見ていて解ったんですが、強さとは誰かに向かっていく力ではなく、いかなる状況におかれても、どんな状況になったとしても自分を信じ続けることが出来る力です。
暴力では何の解決にも成りません。
コメントありがとうございました。
偉そうな事ばかり書きましたが、これに懲りずまた遊びに来てくださいね!!(笑)
お久しぶりです。
古い記事も覚えていただいててうれしい限りです(笑)
心配なのは次男じゃなく、自分の教育の仕方です(笑)
子供から色々なことを学びます。
自分も子供と一緒に大人に成ります(笑)
あっ! そうそう!!
光開通おめでとうございます(笑)
また、MY P.C.からも遊びに来てくださいね!!