岡本太郎氏は『人間は名前があるから悪い』と言われていました。

自分は家(墓)があることが、思考を束縛していると考えていました。
最近は夫婦別姓でも事実婚などといい、民法でも籍に入っていなくてもお互いが夫婦と認めるカップルを法的にも認めるようになった(そういう部分もある)。
例えば、相続を受けることが出来るようになっている。

大体『姓』って何だ?! 『家』ってこと。
○○家っていうやつ。
何の為に苗字があるのだろう?!

多分、自分が築いてきた財産や権利を自分の子供達に引き継ぐ時に、苗字があったほうが良かったからかもしれない。 子を思う親心か。。。 ○○Jr.ってやつ。
しかし○○家ってのがあるから争いや見栄や裏切りが起こる。

そんなことを考えていたのですが、最近気付きました。
『姓』のいいところ。

それは多くの人間はそんなに強くないってことがヒントになりました。

b0097729_2365912.jpg
人間は枠の中でしか生きられないのかも知れません。
不自由な中でしか自由を感じられないと言うか。。。

枠がなくなってしまうと生きる目的を失うと言うか、、、


話が難しくなってきましたか?


例えば夫婦が別の姓を名乗っていた場合。
その二人は成熟した大人でも一緒にい続けることがすごく難しいと思うのです。

入籍することは逆に成熟していない2人でもある程度がんばっていけるというか、、、
かなり語弊のある表現かもしれませんが、、、

b0097729_2392315.jpgボーダーがあるときは、ボーダーがあることが問題となり、ボーダーが無ければ無いで問題がある。
難しい。。。

でも、『姓』は枠をつくることで、自分の役割を見付ける事が出来たり、忍耐することで新たな何かを見出せたり、自分を生かすことが出来ているような気もするのです。

もちろん、外からそんな枠を与えられなくても、自分の中で色々なことを解決できたりブレイク・スルー出来るのだと思います。
でも、多くの人はそんなに強くない。。。

そんなことを考えていました。

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  by ecru-societe | 2006-12-08 00:08 | 日記 | Trackback | Comments(0)

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