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正しいこと

『罪を憎んで人を憎まず』がどれだけ大事かを、今日はお話します。

ニュースを見ていると卑劣な事件の数々。
あたかも正義の味方のように犯人を貶すニュースキャスター。
鬼の首を取ったかのように、揃って犯人を攻め立てるコメンテーターやアシスタント。
こんな品の無い番組を目にすると、すごく淋しくなり、感情を押さえ込むのに苦労してしまう自分はまだまだ修行が足りない若輩者です。

でも、気付いて欲しいから、あえて言わしてもらってもいいですか?

『目には目を、歯には歯を』はローマ時代の決まり。
『市中引きまわしの上、打ち首獄門』は江戸時代の刑罰
一見被害者意識を考えた平等な決まりに思えますが、人類が進歩する中でコレが間違いだったことに気付きました。
だから、現在の刑罰は仕返しの為にあるわけではありません。

何が間違いだったか?

『仕返し』は行っても心晴れることは無い。
『憎しみ』は人間関係が荒むだけ。
そのことに人類は気付き、刑罰を見直したのが近代国家です。

罪は憎むべきです。
その罪が犯された背景や環境や情勢を見直し、再発を防止する手立てを打つことはしなくてはなりません。
しかし、人を憎むべきではない。
「憎しみ」という感情は、決して建設的ではなく、その感情こそが犯罪などを引き起こす根源となり、その感情を認めることは例えどのような立場の方でも法律で認める国家に発展は無い。
しいてはその感情は戦争を招く。
必要なのは罪を憎んで人を憎まないことを知ること。

子供の頃、親に『喧嘩両成敗』と言われ、憤りを覚えたが、今、その意味が解ります。
相手を憎む気持ちこそが罪だと言うことです。

感情は自分も理解が出来ます。
自分も人間ですから。
感情を否定するつもりもありません。
それが人間ですから。

でも、正しいことと感情が一致しない場合は、多々あります。
そのことは恥じることではありません。
でも、間違えることは恥ずべきです。

間違えても罪を憎んで人を憎まず。。。

出来るだけ多くの方がこのことに気付いていただけることを切望しています。

  by ecru-societe | 2007-09-05 00:00 | 日記 | Trackback | Comments(4)

Commented by at 2007-09-05 10:23 x
言われていること、わかります。正しいことと。

罪を憎んで人を憎まず。。

でもそれはかわいい子供達に恵まれ幸せにあるから冷静に言えることではないでしょうか。
そのかわいい子供達が悪人に殺されたとしたら、人を憎まず、と言っていられるのでしょうか。
Commented by ecru-societe at 2007-09-05 12:08
●龍さん
コメントありがとうございます。

龍さんが仰るように、幸せだから言えることで、福岡の事故のようにお子さん3人ともが無くなった親の気持ちを考えると、罪を憎んで人を憎まないことが非常に難しいことは、自分も知っています。

お母さんは25年の刑が科せられなかった時は、自分が加害者を殺しにいくと言われていました。
自分も長男・次男・長女と子供がいて、その3人が自分の前から消えてしまうことを想像すると、想像ができないほどの心情です。

人の命がかかった現場から逃げ出すのは許しがたい行為。
絶対にあってはならないことです。
このことは悪だと解ります。

では、許される悪ってどういった悪でしょうか?

逃げたい気持ちは解るという人が、逃げる行為を認めていいのでしょうか?



つづく
Commented by ecru-societe at 2007-09-05 12:09
子供向けの番組のように、絶対的な悪がいて絶対的な善がいる世の中なら解りやすいのですが、そうじゃないのがこの世の中。
絶対的善人も少なかったら、絶対的悪人も少ない。

では何を悪とするのか?
となると、人や団体や国ではなく、人を嫉んだり、憎んだり、憎悪を抱いたり、貶したりする自分の心の中にあるのだと思うのです。

それらが湧き上がるのを抑えないと、悪の行為を行ってしまいます。

自分はそのことが言いたかったのです。
そして自分は想像もしたくないですが、かわいい子供たちが誰かに殺められた時でも、感情に流されるのではなく正しいことを適切に行い、子供たちにそうなった時点で何ができるのかを考え、最善を尽くして生きて生きたいと思っています。

ちゃんと考えておかないと、とっさにそんな状況になったら、自分は絶対に正しくなくなってしまう。
そう思うから書いています。



つづく
Commented by ecru-societe at 2007-09-05 12:10
もし、龍さんの置かれている状況も顧みず、このような文章で傷つけてしまったのなら、それは本当にすいません。

悪は、人の中の悪を追及するのではなく、自分の中の悪を追及すべきで、このような文章を書くことは偽善であることは自分も承知です。
ただ、このことに気付けば今よりいい未来がある人のヒントとなればと思い書きました。
そのことだけは信じてください。
決して誰かを傷つける為ではありません。

傷ついてしまわれた方々には、深くお詫びを申し上げます。
申し訳ございませんでした。



おわり

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