人間万事塞翁が馬
選択の先には必ず、幸と不幸というカタチがぶら下がっているのだと思う。
塞翁が立派な白馬を手に入れた ⇒ 幸というカタチ
塞翁がその白馬から落馬して大怪我をした ⇒ 不幸というカタチ
まもなく戦争が起こり塞翁の村の男は軍隊に取られ、そしてその軍は全滅したが、大怪我をしていた塞翁は徴兵されずに済み、生き残った ⇒ 幸というカタチ
馬を得るという選択をした時から、幸と不幸というカタチは繰り返される。
(カタチと言ったのは、人によって捉え方が違うからだ)
不幸な状況で選択したことをやめてしまったら、その選択は不幸を招いたことになる。
でも、その先の幸せを信じ、続けていけばきっと幸というカタチは訪れる。
幸か不幸かは捉え方だともいえる。
でも、人はそんなに強くないから、不幸だと感じてしまう時もある。
それでも言えることは、その不幸というカタチで終わらせてしまうとそれは不幸なんだろうし、終わらせなければ幸となる可能性はある。
自分の中の幸の定義をしっかり見定め、的確な行動や思考を続けていれば、その可能性は大きくなる。
人間万事塞翁が馬。
だから継続する意味があるのだと思う。
それを希望とも言う。
ただ、自分も身の回りに起こることは、自分や人間や社会と言ったものさしで測ると不条理だと感じることもあるだろう。
産まれて間もない何の罪も無い赤ちゃんが、紛争や戦争の犠牲になったりする現実を、自分達のものさしでどう説明できるだろう?
自分も身の回りに起こることはきっと、もっと大きなスケール(ものさし)の中での出来事なのかもしれない。
それでも、わたしは自分のものさしでの幸せを望んで、決して希望を捨てない。
by ecru-societe | 2008-07-17 03:01 | 日記 | Comments(4)
わかっているヒトは
ぶれないし ゆるぎないから
強いですよね
私も ものさしもってます。
・・・分度器ですけど。