2017年 08月 08日 ( 1 )

 

信じた理由。

例えば
大学教授などその道の専門家が話す事より、身近な友人の言葉を信じたり。
例えば
テレビで言ってた事は正しいと思ったり。
身近な人の意見より、初対面の占い師の言葉の方が、信ぴょう性が高かったりと、人が何を信頼性のモノサシにするのかは、あまりにもナゾめいていて解明は不可能。

ただ思うには、論理的では無いその人の感覚的判断によるものと感じる。
例えば、言葉にすると「運命」みたいなものだろうか?
何かに引き寄せられる感覚の決断の様に観て取れる。

「信じる」とは、本来、理解や理論に基づかない、感覚的な意味が強い言葉だったり、「祈り」に近い精神性によるものだと感じる。

だから、信頼性にモノサシがあったり、解明できる様なものでは無いのは、ある意味、当然の事なのかもしれない。

だとしたら、重要な事は、、、
論理的では無いその選択と言うか、信じた道を、論理的に考える事無く、ただ単に自分の道を信じ続けさえすればいいのだと思ったりもする。



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  by ecru-societe | 2017-08-08 18:40 | 日記 | Trackback | Comments(0)

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