人気ブログランキング | 話題のタグを見る

学ぶ意味

学ぶ意味_b0097729_08264003.jpeg

ふんわり感じて来た事を
言葉や数字で表現する
その為に学んで来たと
僕は今は感じている

学んでたどり着くのは
(未だたどり着いていないけど)
自分自身
なのでは無いか?
予想している

でも
もう一方で
学ぶ事で得られるモノ
学ぶ意味みたいなモノがある

それは共通認識

自分を知る一方で
人間を知って行き
共有する情報や
共通の言語などが
増えて行く

知っている人とだけ
深く通じる言葉を
身に付ける

それも学びの産物に感じる

でも僕は
やはり
自分というカタチを
少しでも言語化する事に
勉学などの結果を求めて来たと感じる

まぁ
宇宙を知るのに
(宇宙を知る結果に至るには)
天体望遠鏡を用いずとも
顕微鏡でも
宇宙に近付けるのだけど

良い大学
良い会社
選択肢を増やす為に
学ぶのは
自発的には成れず
お力添えいただいた方々に
申し訳無かった



「イイネ!」 ← よかったらクリックして下さい!

  # by ecru-societe | 2022-07-03 08:25 | Trackback | Comments(0)

雨にも負けず、風にも負けず

雨にも負けず、風にも負けず_b0097729_23061172.jpeg

僕は立派な両親に育てられた。
父は多くの方々から先生と呼ばれて、毎年とんでもない数の年賀状が届いた。
母は僕に「父のようになりなさい」「その為に勉強しなさい」と言い続け、厳しくした。
褒められる事は少なく、むしろ貶された事を記憶している。

雨にも負けず、風にも負けず_b0097729_01393108.jpeg

一方妻も、立派な両親に育てられた。
夫婦共に公務員で、家もシッカリしており、大切に育てられたそうだ。
僕とは真逆で、褒めて育ててもらい、自分の事を貶す人がいたらおかしな人だと感じ、意味が分からなかったそうだ。

雨にも負けず、風にも負けず_b0097729_01451932.jpeg

逆に僕は、学校で先生に褒められても、容易には信じられなかった。
ある日、国語表現の先生に「お前は、表現力がある」「文章の才能がある」と言っていただいた時も、小学生の頃から父に「お前は国語が出来無い」と言われていたので、手放しで喜ぶ事が出来なかった。

大学時代なんかは、教授に気に入られているのに気付かず、つい数年前まで、いじめられていたとすら思っていた。
大学時代の同級生に「何を言ってるの!」と叱責されて、教授のお気持ちを教授が亡くなられてから知るという、残念な思いをした。

とは言え、教授の事は学生の頃からずっと尊敬しており、今でも教授に教わった事を大切に考えて仕事にのぞんでいる。

っとまぁ、こんな具合で、僕は褒められる事にどうも疎い。

雨にも負けず、風にも負けず_b0097729_01514125.jpeg

今日考えたのは、どんな風に子供たちなどに接するのか?
接し方の違いによって、様々な違った影響はある。

ただ、接し方や影響に、良いも悪いも無く、それはあくまでもその人の接し方であり、ただそれだけの事で・・・受けた影響は単に経験でしかない。
経験をどう活かすかは自分にかかっているって事。

直ぐに分かれば良いって訳でも無いし、ずっと分からない事がダメって訳でも無いかも知れない。

どんな状況も経験も、自分次第だって事は確かな事だから。
どんな風に子供たちなどに接するのか?を)考えてみても、仕方のない事だった。

ありのままが良い。
いや、それしか出来ない。

雨にも負けず、風にも負けず_b0097729_02021332.jpeg

僕の場合、トラウマって程では無いけど、呪縛みたいなモノから解放されて、自分の歩みを始められたのは、諦めた事からかも知れない。

幼い頃から母に「父のようになりなさい」と言われ続けた事で、僕自身が形成した檻のような物。
基準と思っていた事。
それを支えきれなくて、諦めて、土俵を降りた。
その時、やっと自分の土俵に立ったんじゃないかと思う。

大きな傷は、僕にも周りの人たちにも残してしまったけど、(僕が言っては、おかしくなるけど)それも含めて経験で・・・僕自身は、それを活かして今がある。

雨にも負けず、風にも負けず_b0097729_02095626.jpeg

溺れた時、這い上がろうともがいている間は沈み、もうダメかもと諦めて脱力した時に浮上して助かるって事があると聞く。

そんな感じかな?

諦めて、自分を受け入れたら、生きて行ける気がした。
そんな感じ。

誰かの期待に応えて生きる事も、自分として生きる事も、どっちも大変なんだけど、比較的どっちが向いてるか?って事で選べば良いんだと思う。

僕は、誉められもせず苦にもされず、そういう者を選択しています。



「イイネ!」 ← よかったらクリックして下さい!

  # by ecru-societe | 2022-06-18 01:32 | 日記 | Trackback | Comments(0)

シアワセ

シアワセ_b0097729_23111188.jpeg

「今日、何食べたい?」
「買い物行かな、冷蔵庫に何も無いなぁ〜」
妻が言う。

『じゃあラーメン食べに行く?』
と僕が言うのにかぶせる様に
「野菜炒めにしよう!」
と妻が言う。

どないやねん!

シアワセ_b0097729_23114733.jpeg

手を止めて、別の脳を働かせた僕の行動は、全く意味を失う。

いや、全くでも無いか?
こうやってブログネタにはなっている。

いやいや!
もっともっと退いて考えてみれば・・・

そもそも、妻が作ってくれた夕食を妻と一緒に食べるなんて、33年前、高校生の頃には夢のまた夢の話。

20年の空隙を、今日もひとつ埋める。
そんな毎日が実はシアワセ。

何より、その事を知っている事が、きっとシアワセ。
こんな些細などうでもいい会話が、きっとシアワセ。



「イイネ!」 ← よかったらクリックして下さい!

  # by ecru-societe | 2022-06-16 23:05 | 日記 | Trackback | Comments(0)

有難い事。

有難い事。_b0097729_22152217.jpeg

「良い事」と「悪い事」
人生で数えた時、どちらが多いのか?

「ピンチの後にチャンスあり」
などとも言うから、トントンなのか?

いや! そもそも「良い事」って何だ?
そんなの捉え方で、全く変わってくる。
ただ、容易に得られる事などに、「良い」を感じるのは難しい。

いやいや! そもそも「容易」と言う事すら、捉え方で変化する。

当たり前の日常が続く事が、いかにシアワセな事かを知れば、退屈な程の毎日に感謝を惜しまないって人もいるだろう。
そもそも「容易」など存在するのだろうか?

それに「人間万事塞翁が馬」だし
そもそも「良い」も「悪い」も存在するのだろうか?
視点の違いだけで、どっちとも捉えれる。
そんなモノだろう。

有難い事。_b0097729_22261809.jpeg

またその鈍感さに、呆れる事態が発生して不利益を被る。
そんな時、ドッと疲れたりもする。

でも、鈍感が故のひたむきさに救われたり、恩恵を受けた事も一方である。

そもそも、自分とは違う捉え方に魅力を感じたり、頼もしく思たりした事は、忘れてはいけない。

難の無い、波風の立たない、そんな生活や関係性が、良いと思たり、そうでも無かったり。

後になって、渦中から遠に抜け出した頃、その波風に、思い出し笑いをしたりもする。
そんなこんなをシアワセと呼んだりもするのだろう。

波風に「良い」も「悪い」も無く。
波風は「波」と「風」。
無難では無く、有難い事。

  # by ecru-societe | 2022-06-07 22:15 | 日記 | Trackback | Comments(0)

あなたが私にくれたモノ

あなたが私にくれたモノ_b0097729_21401424.jpeg

今日、仕事から帰って来ると、次男からの荷物が届いていました。

あなたが私にくれたモノ_b0097729_21423514.jpeg

「初任給が出たから」と。

嬉しいですね。。

GWには、長男からも贈り物をもらい、何だか切なくなる程嬉しいですね。

あなたが私にくれたモノ_b0097729_21454524.jpeg

とてもとてもシアワセで
未来はきっと安泰です。

あなたが私にくれたモノは
「喜び」や「あんしん」や「少しの切なさ」や「誇らしさ」や
感動に他ならない。



「イイネ!」 ← よかったらクリックして下さい!

  # by ecru-societe | 2022-05-23 21:40 | 家族・地域 | Trackback | Comments(0)

SEM SKIN - DESIGN by SEM EXE