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人生と経営に役立つ名言・格言・いい言葉

いい言葉に出逢ったから、ちょっとここにメモしておこう。


「計画」とは将来への意思である。将来への意思は、現在から飛躍し、無理があり、現実不可能に見えるものでなくてはならない。現在の延長上にあり、合理的であり、現実可能な計画はむしろ「予定」と呼ぶべきだろう。将来への意思としての計画は、困難を受け入れ、困難に挑み、困難に打ち勝つモチーフを自らのうちに持たなければならない。(土光敏夫:第4代経団連会長)

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  by ecru-societe | 2013-09-09 09:09 | 日記 | Trackback | Comments(0)

それでも地球が動いてる!

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論理的である必要性はあるけど、地球は理屈で回っているわけじゃない。
地球が回るからそこに理論が生じる。

多くのことはそうなんだろう。
いや、ほとんどがそう。
言動を決める時、理論ではなく、感覚が優先される。

「状況」でも「辻褄」でもない。
「正当性」でも「客観性」でもない。
もっともっと感覚的なもの。
「なんとなく」とか「直観」とか・・・

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それは「どうして好きか?」って感じに似てる。

その質問自体がナンセンスに思えるほど、「好き」という感覚には理由が不要だと感じる。
例え明確な理由を述べることが出来たとしても、感覚を超えて表現できるわけじゃない。

「感覚」はリアルで、、、だからこそそれに支配される。

しかし、感覚はあいまいで、非定性的で、恣意的だ。
そして他人との共有が難しい。
自分以外の人と共有化を必要とする時、そこで「言葉」が役割を果たす。
言葉とは「論」。
つまり、論理的である必要性がある。

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何が正しいのか?
それは「神のみぞ知る」なのかも知れない。

しかし、人は独りでは生きてはいけないことも事実。
その為には協力を得たり、共感を得たりする必要性がある。
そこでより正確な共感や判断を要する時ほど、論理的である必要性が増すことは、言うまでもない。

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とは言え、「言葉」や「数字」で語れないものの方が、世の中には多い。





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  by ecru-societe | 2013-04-24 12:12 | 日記 | Trackback | Comments(0)

コトノハ。

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正確に伝えるよう、心がけよう。
そうしないと、相手に自分という人間を理解させないどころか、誤認させてしまうことになる。

そして正確に受信するよう、心がけよう。
そうしないと、目の前の相手とではなく、自分の中の空想のヒトとしか対話できない人になってしまう。

両方がうまく出来ないと、なかなか誰とも一緒にいることがままならない。

自分を知り、自分を解ってもらう。
相手を知り、相手を理解する。
それには、言葉も必要なファクター。

言葉を上手に使えるようになろう。





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  by ecru-societe | 2012-10-31 10:28 | 日記 | Trackback | Comments(0)

トゲのある言葉を選択しない為の知識。

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先日、同じビルに入っている工務店さんが、お店を閉められた。
それを見たエクリュのスタッフが、「●●さん、辞められたんやね。。」と言った事で、少しほっとした。

前に他の友人と話した話があったからだ。

「あそこの店つぶれたんや」
って言葉が嫌い。。。
と、その友人は言う。
自分の引き時を考えられた、その時のお気持ちを理解しない全く考えない、鈍感で酷い言葉だと。

確かに!

多くの人は表面上の現象に大きく気持ちを左右され、そこに流れる気持ちや想いや背景など、目に見えないものを忘れがちだ。
目に映るものなんか、本当に氷山の一角に過ぎないのに。

スタッフが言った言葉は、同じビルなので、何度か直接お会いすることもあった、つまり顔が見えている方の選択だったので、そんな表現になったんだろう。
でも、例え顔が見えていなくても、そこには人がいて、色んな気持ちや想いなどが存在しているに違いない。

そんなことが感じられない、理解できないような、そんな人にはなりたくは無い。

しかし、まだまだ僕も経験が不足していて、想定できないこともたくさんあるだろう。
要するに相手の立場にたてない事もあるのだろう。
だから不本意に傷つけてしまう言動を取らないとも言えない。

だからこそ、言動には気をつけて、背景や気持ちや想いなどを出来る限り想定し、人が聞いて嫌な思いをするようなトゲや毒のある言葉を発してはいけないなと、反省するのであった。





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  by ecru-societe | 2012-08-27 16:04 | 日記 | Trackback | Comments(0)

シンプル

簡単(シンプル)である必要性はある。
しかし、本当のことはたいてい簡単ではない。
一言では表現できない。
一対一ではない、複合的なモノだと思う。

だから解らないと閉ざしてしまったり、あきらめてしまったら、真実に触れることは出来ない。

きっと簡単に言葉に出来ない、カタチに出来ないモノの中にこそ、重要なモノが沢山あって、それを説明して簡単な言葉などで表現した時に陳腐なモノに成り下がってしまうのかもしれない。

シンプルなモノが大きな意味を持つ瞬間は、複雑で膨大な背景を理解出来る能力を持った人が、そのシンプルの後ろ側に宇宙を見出せる時なんだと僕は思う。

それが Less is more. の意味するところ。
また、茶道の示すところ。
時には絵画や写真や書や建築などの目指すところなのかもしれない。





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  by ecru-societe | 2012-04-16 23:00 | 日記 | Trackback | Comments(0)

必要な言葉 ~ 壺 ~

必要な時に、必要な言葉などに出会えると感じる瞬間がよくある。

それはお導きか?
それとも自分が強く気にかけている時なので、そんな言葉が浮き出てくるのか?

いずれにしても、僕に言葉をかけてくれる人や機会などのおかげで、必要な言葉などに出会えるわけで・・・。
決して自分だけの力では無く、周りにそういった人がたくさんいてくれることを、ありがたく思う気持ちでいっぱいになる。

昨日もそうだけど、今日もそんな必要な言葉に出会えた。

「壺には、石から詰めるべし」かぁ~。
確かに!

 ある大学でこんな授業があったという。
 「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
 その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。
 壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
 「この壺は満杯か?」
 教室中の学生が「はい」と答えた。

 ... 「本当に?」
 そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
 そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
 そしてもう一度聞いた。
 「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
 一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
 教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
 それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。

 「この壺はこれでいっぱいになったか?」
 学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
 教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。
 彼は学生に最後の質問を投げかける。
 
 「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
 一人の学生が手を挙げた。
 「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、
 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
 
 「それは少し違う」と教授は言った。
 
 「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
 大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
 
 君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
 それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり、、、
 自分の夢であったり…。
 ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
 それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
 もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから
 自分の壺を満たしていけば、 君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
 そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、
 その結果それ自体失うだろう。






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  by ecru-societe | 2011-10-22 10:10 | 日記 | Trackback | Comments(0)

今日感じたこと。

言葉はリアルではないのに、リアルに伝わりそうな感じがするから、厄介だと思う。
100%正確に伝えることが出来るコミュニケーションは、存在しえない。
言葉の表現力にも確実に限界がある。
むしろ言葉の表現は限界が大きいと感じる。
だけど、ほとんどの人にある程度の概枠は伝わるので、言葉はとても便利なコミュニケーションの道具だと錯覚してしまう。
でも、言葉には限界がある。



また、理解は自分を超えては出来ない。
だから理解の仕方はその人のオリジナルで、完全な情報の共有は難しい。
全く同じ経験を全く同じ状況で得続けることが不可能であるから、そこがコミュニケーションの難しいところと言うか・・・可能性があるところというか・・・。

理解しあうということは、全く同じように感じあうと言うことではなく、同じ時間や状況などを共有する中で、それぞれがそれぞれの認識として感じあい、それぞれが全く同じ認識ではないこと、むしろ違った認識であることを知り、それを認めることなのかもしれない。

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  by ecru-societe | 2010-05-16 21:58 | 日記 | Trackback | Comments(0)

ことば

言葉は難しい。 また言葉通りの行いも難しい。

例えば『平等:ビョウドウ』って言葉がある。
辞書にはこうある。

[1] 差別なく、みなひとしなみである・こと(さま)。
[2] 近代民主主義の基本的政治理念の一。
   すべての個人が身分・性別などと無関係に等しい人格的価値を有すること。
[3] 〔専門〕 仏 真理の立場から見れば、事物が独立しているのではなく、
   同一の在り方をしていること。



どちらが平等だろう?

① 5人に等しく2つづつ分け与える。
② 5人の年齢や体系、体質、体調などそれぞれの特性にあわせ
  必要となった時に必要な数だけ分け与える。

①が平等。 ②は公平かな。
どうだろう?



今日、長男に「京都って公衆電話多い?」と聞かれた。

『どういう意味で?!』
『福井より絶対数は多いだろうけど、一人当たりの数なら解らない』
と答えた。

多分、ヘンコな返答に思われるだろう(笑)。

『タイチ(長男の仮名)は自分の指の本数が多いと感じたことはあるか?』
「ない」
『じゃあ、ティラノサウルスとタイチの指の本数なら、どっちが多い?』
「ボク」
『普段、指の本数が多いと感じないのは比較をしないから』
『比較対象が生まれた時はじめて多いとか少ないとかって言葉ができるんやで』
と教えた。



でも、どれだけ言葉の意味を知って、発言したりしているだろう?

平等について考えたのは、当然にエクリュではお客様に平等にサービスを行っていきたいと思っているが・・・
それはかなり難しく・・・
何を軸にするかによって意味も変わってくる。
だから決まりやルールや法律があって、一応の基準が定められている。

しかし、悩みは尽きないものだ(笑)。

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  by ecru-societe | 2009-07-20 11:55 | 家族・地域 | Trackback | Comments(0)

言葉には背景がある

言葉には背景がある。

色んな人が色んなことを言うけど、
言葉は自分の思いや考えや様々なコトやモノなどを伝えるための道具だけど、
言葉だけを捉えるときっと何も伝わらない。

それは色んな人が表現する言葉は、そのひとりひとりの経験や体験やそんな背景みたいなものからカタチにされたモノで、同じ音で表現されても、同じ文字で表現されてもきっとどれ一つとして全く同じではない。

言葉は表現したいコトやモノへの認識を2人以上の人たちが近づけていくためのもので、
表現を否定することに用いる必要はないと思う。

これが自分の認識です。

本当の言葉の意味に近づくには、その人を出来るだけ知る必要があると思う。
その人の目線になる努力をしないと表現されてる真意に近づくことはできない。

それが解って言葉を使うと結構面白いし、傷付かなくてもいいことで傷付かなくて済むかもしれない。 むしろ傍に寄り添えたような感じがするかもしれない。

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  by ecru-societe | 2009-02-06 01:29 | 日記 | Trackback | Comments(0)

言葉

多分、理系。
だから言葉は記号としてしか利用されていない。
心に点火するためのプラグのような役割を持たせることができない。

自分の言葉にいつも感じ。
言葉の選択を思考してきたが、やはり記号的な役割しか持たせられないと
今も感じる。



多分、理系。
だからかどうかは解らないが、本を読むのは苦手。
そのせいもあってか、ボキャブラリーがあまりに少ない。
だから表現力も無いのかも知れない。
プラグのような言葉がほしいとよく思う。
プラグのような言葉を持てないのは、多分、まだまだ人が解っていないからだろう。



言葉も本も似ていると思うところがある。
それは経験した人にしか伝わらないところだ。
言葉も本も。
いくら思いの丈を伝えたりしても、共感が無いと記号に終わる。

馬の耳にネンブツ的な。。。



だけど、記号じゃないプラグのような言葉がほしいと思う。
それは言葉の選択というカタチではなく、こころの深さの問題なんだろう。

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  by ecru-societe | 2008-11-21 16:12 | 日記 | Trackback | Comments(0)

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