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感が良い・感が鈍い・感じない

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本当にそれは常識なのか?
本当に知っているのか?

学校で習ったからって、その情報は正しいのか?
ましてやテレビやインターネットで拾った情報から組み立てた考えなんて、大丈夫なのか?

そう考えると何を信じて何をベースに思考を積み上げれば良いのかが解らなくなるだろう?

基準は自分だ!
自分自身が感じる感覚だ!
脳は使ったらダメ。
脳に入っている常識や情報は、事実かどうか疑わしい。
だから脳は使わず感じるのだ!

神の声をひたすら待って、聞こえたら腹を決める。
それが正しい選択の仕方だと僕は思う。

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しかし、多くの人は感じない努力をしている様に思う。

困っている人がいても目を合わさず通り過ぎる。
道でゴミが落ちていても拾ってゴミ箱まで持っていかない。
人が忙しそうにしていても「私の仕事では無い」携帯の画面を見て自分の世界に閉じこもる。

まぁ、わからなくも無い。

困っている人を感じて、その度、同じ気持ちになっていたら、自分が持たない。
ゴミを拾うと、捨てる人に対して腹が立つ。
どうせ掃除を仕事としている人がいるから、その人が掃除するだろう。
そう思わないと疲れてしまう。
忙しい人に合わせていたら、ずっと忙しい事になってしまう。

そんな風に考えるんだろう?

でも、感じない努力をはじめた人には、もう聞こえない。
感じるには努力が必要なのに、感じない様にしてしまったら一瞬で聞くべき声が聞こえなくなる。
そのリスクも知らず、見猿聞か猿言わ猿、いや、不満はいくらでもたれるので、まともな事を言わ猿となる。
まさに猿だけに「ひとでなし」となる。

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何やかんや言って、どうなんだろう?
全ては必然。
起こる事全ては、起こるべくして起こる。

感じない努力をする人も
滝に打たれて感じる力を高める人も
誰が正しくて、誰が間違っているとかは無く、それぞれの人が(自覚してようがそうでなかろうが)自分の役割を果たしているだけに過ぎないのかも知れない。

そう考えると、この事を書く事も必然で・・・
読んでいただいた方も読むのが必然。

ある事実に気付くきっかけとなる人もいれば、「???」って人もいる。
スルーする大半の方々もいる。
当たり前の事だと思う人もいる。

僕はブルースリーに従う。
「考えるな!感じろ!!」



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  # by ecru-societe | 2019-10-29 17:07 | 日記 | Trackback | Comments(0)

歴史

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伝え聞く歴史(物語り)や、時には事実でさえ
当時の権力者などによって
書き換えられたり曲げられる。

だから、どんな時もそうだが、特に歴史を観る時は、鳥瞰的な見方から考えていく必要がある。

鳥瞰的である事。
出来るだけ高くから(多角から)広く眺める事。

どこまで高い位置から眺める事が出来るのかは、観る人の力による。
力とは、出来るだけ正確な情報を出来るだけ多く得る事。
他に、物理を知る。深く人を感じる。などなど様々なモノが力となり得る。

しかし幾ら力を望んでも、自分を超えて、観る事も感じる事も出来ない。
自分が触れている世界は、自分でしかないのだ。

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コレもどんな事にも言える事だが、歴史上の事実においても、そもそも良いも悪いもない。
あるのは必要な事。

全ての事は、今につながる為に必要な事だっただけで、もしある事実に評価が存在するのなら、それは時の権力者の都合。
もしくは、自分自身の価値観や好みによるもので、ある事実には、良いも悪いもない。

だいたい、他人の事をとやかく評価するのは、良識のある者のすることでは無く、自分の事が自分で評価できる様に生きて行きさえすれば良い。

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自分だけの正義を振るい、自分勝手に生きれば良いと言っている訳ではない。
自分に正義がある以上、他人にも正義がある事は、当然の事で、それを知らないのは良識のある人間とは言い難い。

ただ、自分を評価できないのでは、折角いただいた人生の意味が理解し難くなる。

そもそも世間などは、右に左に寄せては返す波のようで、あっさり評価を覆すもの。
浮世とは、そういうニュアンスを表現した言葉に思える。
だから、プロパガンダに影響される必要性は無く、事実だけを曇りなき眼で見定める、その眼を持っていれば良い。
その眼は、自分に恥じない生き方をして、そこで得る経験や知識から深まって行くものだと思う。




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  # by ecru-societe | 2019-10-27 14:50 | 日記 | Trackback | Comments(0)

僕の友人。ジャンヌダルク的天才児。

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ジャンヌダルクは、本当に神の声が聞こえているのか?
予言が的中はしても、そう思う者もいる訳は、他の者には、神の声が全く聞こえないからだ。

天才が実績を積んでも、評価出来ないのは凡才だからだ。
それだけが理由では無いが、それは大きな要因だ。

お施主様のお子さんに天才児がいる。
幼稚園児の頃、お住まいの打合せについて来てくれていたその時の出来事が、僕にはとても印象的だった。
幼稚園児が発する言葉はいつでも、とても正確で、デザイナーである僕は、とても聞き取りやすい言葉だった。

大抵の人は大人でも、その場の雰囲気や感情などで言葉が乱れたり正確さを欠くのが一般的だ。
しかし、その幼稚園児は、(お母さんのおかげが大きいが)とても安定的で正確に状況を説明出来た。

今日、小学二年生になったその天才児の言葉が乱れた。
きっとある意味で世間を知ったのだろうと感じた。

天才児の言葉は、それと同等以上の力を持ち合わせた者にしか聞こえない。
しかし、大人でも正確な言葉を使う事が出来ないのが、この世間。
ましてや小学2年生の世界では、天才児の正確な言葉はなんの意味も持たないだろう。
もっと別の力が評価される環境なんだろう。

その事が、今日、天才児の言葉が乱れた事で、観て取れた。

ジャンヌダルクが、火炙りになる前に、聖人と評価される方法は無いものか?
そう考えさせられた。



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  # by ecru-societe | 2019-10-20 22:21 | 日記 | Trackback | Comments(0)

選択

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専門家や知識がないと見えない事って色々ある。
器の場合で例えると、手間の違いは何となく分かったとしても、専門家程はリアルには知り得なかったり、釉薬の違いや窯や焼き方の違い、技術力の違いなども知識がないと当然理解は出来ない。

でも、自分が気に入ったかどうかは、分かる。
値打ちなど客観的な事は分からずとも、主観的な事は分かるから、その金額で欲しいと思うか否かは自分で決められる。

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食品なども、専門家や知識がある人の選択程は、一般の方や知識の無い方では正確に選べてはいない。

例えば日本に輸出されているフランスワインには、フランス国内で使用を禁止されている酸化防止剤が入っている。
ボジョレーヌーボ解禁にわくどのくらい人達がその事を知っているのだろう?
(チコちゃんに聞いてみよう)

とは言え、自分が何が好きで美味しいと思うのかは、分かる。

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選択ってなんだろう?

と言うか?
自分自身がどんな選択の仕方を望んでいるのかがポイントだと思う。




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  # by ecru-societe | 2019-10-19 22:06 | 日記 | Trackback | Comments(0)

大切なモノ

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大切なモノを大切にしたいだけ。
でもそれを他人は色んな風に言う。
言うだけならまだしも、侮辱し攻撃を加える者もいる。

きっとそれはそれぞれに大切なモノがあって、それを大切に出来る力が十分では無いと感じているから、他のモノを大切にしている誰かを攻撃してしまうのだろう。

自分に大切なモノがあるのなら、他人には他人の大切なモノがあって然るべき。
他人の大切なモノに攻撃を加えるのでは無く、ただ単に自分の大切なモノを大切にし続けるだけで良いのに・・・

自分の大切なモノ以外を大切にしている事が、自分への攻撃と感じるのは、本当は、自分の大切にする力が不足している事の自覚が引き起こした事だから、他人の大切なモノへの攻撃をしているヒマは無く、もっと自分の大切なモノを大切にしようと力を注ぐべきなのにと思う。

繋がりを重んじる。
信頼をつくる為に。
手を抜かない。
たとえ目立つ事が無くとも、コツコツ続ける。
そうする事でしか生まれて来ないモノの為に。



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  # by ecru-societe | 2019-10-12 00:40 | 日記 | Trackback | Comments(0)

美しいカタチを得る理由

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美しいカタチを得る事は、そんなに難しく無い時代になった。

既製品のキッチンやお風呂のデザインを、世界的に有名なプロダクトデザイナーが手掛けていたり、GKデザイングループが手掛けていたりする。

だから、そんじょそこらの輩が小手先で線を引いたところで(デザインしたところで)足元にも及ばないのは目に見えている。

こんな状況だから、既製品をそのまま使用しても、ある程度洗練された形状にまとまるのは当然で、美しいカタチを得る事は、容易になっている。

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実は既製品の美しさもさる事ながら、もっと、美しいカタチを得る事を容易にしている理由がある。

それはその形状を得る対価がハッキリしていないポイントにある。
ニーズでは無く、ウォンツのまま得る事が出来るポイントだ。

もう少し解りやすく説明するとこうなる。

例えば建築物の価値は、5つの軸で形成されている。
5つの軸、つまり「社会性・芸術性・機能性・経済性・生産性」だ。

美しいカタチを例えば芸術性としよう。

2000万円の家を建てる時
社会性の為に使う費用が60万円
芸術性が1600万円
機能性に200万円
経済性に40万円
生産性に100万円
こんな風に可視化した場合。

「もっと機能性に費用を増やしたい」
「もっと経済性は検討したい」などなど意見が出て来る筈。

しかし、可視化出来ていない事が多い中で、費用対効果が不明確なまま、明確な見た目だけを追う。
そう言った実態が美しいカタチを得やすい状況になっているのだと予測する。

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知らぬが仏。
しかし、現実とは大抵厳しいものだ。
それでも現実に目を向けて、曇りなき眼で見定められる強い人。
その人しか乗り越えてられない筈が、良い部分だけを見て選択した気になる状況なら、容易く美しいカタチを得るだろう。

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そもそも、どんな事でもそうだが、住まいを検討する場合も例外では無く、魅力ばかりを追っては行けない。

住まいは日常を過ごす場。
もしかすると最期まで居る場になるかも知れない。
なのに魅力ばかりを追うと、とんでも無いことに成りかねない。

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魅力とは、自分に無い物とも言える。
多くが当たり前の日常に魅力を感じず、中々得る事が出来ない経験出来ないモノに魅力を覚えるのが一般的だと感じる。
つまり、当たり前から遠ざかる程、魅力は高まる。
言い換えると自分から遠ざかる程、魅力を感じる。

刺激に耐えられる間は、魅力は刺激的で良い。
しかし、一旦、刺激が煩わしいモノに変わり始めると、魅力は不一致と言う言葉へ変化する。

当たり前だ!
最初から自分に無いモノを選んでいるのだから。
不一致に決まっている。

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それが、魅力ばかりを追ってはいけない理由。
魅力とは不一致にも変化する可能性を秘めているのだ。

住まいは日常を過ごす場
もしかすると最期まで居る場かもしれない。
そんな場が、ある日から不一致に変化してしまったら、これ程不幸な事が他にあるだろうか?

そうならない為にも、魅力ばかりを追うのでは無く、地に足をつけた日常を把握し最適化する必要がある。

むしろ魅力では無く、己を見つめ知る事こそが住まいづくりに不可欠なのだ。

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幸い、冒頭に述べた様に、美しいカタチは容易に得る事が可能となっている。

大量生産される既製品が、深澤直人氏のデザインであったりする。
嬉しい限りだ。

美しいカタチを得るのに、躍起になる必要はない。

それより落ち着いて己を知る事の方が、住まいづくりにおいてもとても重要で、費用対効果を知り、己の価値観で住まいを形成してこそ、美しいカタチを得る意味があるのでは無いだろうか?

僕はそう考えている。



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  # by ecru-societe | 2019-10-10 00:20 | 日記 | Trackback | Comments(0)

大人になってもチュッチュルゥー

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最近はあるのか無いのか?
昔はあった。
大人が子供に「勉強しなさい!」と必死に訴える場面。
「大人になれば解る。でも大人になってからでは遅い。」
そんな風に言われる事は度々あった。

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当時の大人の訴えが正しいかどうかは置いておいて、年齢を重ねる事で解る事は、確かにある。

先日は大学時代の友人から、教授が僕に期待してくれていたと教えてもらった。
当時はいじめられている位に思っていたが、今となっては「確かに!」と思う事が出来る。

その他には、昔は爪楊枝を使うタイミングを知らなかったが、最近は食事の後、爪楊枝を探している。

その事からも解る様に、今、自分と無関係でも、存在している物は全て意味があって存在している事を知る。

歳を重ねると経験も増え、それに伴って解る事も増える。
忘れる事も増えるけどね!

「年長者の話は聞くもんだ!」って言葉の意味も良く解る。

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話を聞いたところで、経験していない事は実感出来ず、理解出来ない事も事実で、、、
だからやっぱり痛い目をして経験を重ね、大人になって行くしか無いのかも知れない。

誰かの言いなりで一旦は難を避けても、それでは何を得て何を失ったのかが自覚出来ず、きっと何処かのタイミングで何のためらいも無く避けれた筈の難に自ら赴く事はあり得る事だと思う。

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だから変に逆らう事なく起こる事を受け入れて、星に願いを神に感謝をすれば良いのかも知れない。

とは言え、僕は暮らしのプロフェッショナル。
暮らしに関する経験や知識は、多少なりとも一般の方よりは多く持っている。

一方で、暮らしは十人十色である事も、経験から強く感じている。

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僕に出来る事と言えば、僕から観えているお施主様らしさをお住まいというカタチに落とし込んでご提案し、その上で今のお施主様が選択される事のその先を信じて共に歩み続けて。
もし仮に不連続な変化の中で、その時の選択が逆目に出る様な事が発生した場合には、そこから出来る最善策を絞り出し、やはり共に歩み続けようとする事なんだと思う。

もちろん、相手の同意があって実現出来る事で、僕だけの力では何も出来ない事も解っている。

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住まいを考えるとは、そういう事を言うのだと思う。



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  # by ecru-societe | 2019-10-08 23:00 | 日記 | Trackback | Comments(0)

大きな栗の木の下で

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昨日は26時まで図面を描いていました。
夜から打合せがあり、その後から描き出した事もあって、集中して描いていたら時間の過ぎるのも忘れて、気が付けば26時になっていました。

また今日も夜から打合せ。
昼は、その打合せの土地を見に行って来ました。

その敷地には大きな栗の木があって、沢山クリが落ちていました。
打合せ中に蒸してお施主様と一緒にいただこうと拾って帰って来ました。

晩御飯を食べて来られたお施主様。
お腹がいっぱいとの事で、全て我が家にいただいて帰って来てしまいました。

栗ご飯にでもしていただこうと思います。



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  # by ecru-societe | 2019-10-01 22:47 | 日記 | Trackback | Comments(0)

なし

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大聖寺のお客様が、大きな梨を持って来てくれました!

梨と言うと・・・
大学時代にしていた音楽団(バンド)で、コピーをしていた THE BOOM(ザ・ブーム)の「なし」って曲を思い出します。
歌詞がユニークで、ギターのカッティングが良い感じの曲です。

久しぶりに帰って「なし」を弾いてみよう!(笑)





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  # by ecru-societe | 2019-09-18 14:21 | Écru Société | Trackback | Comments(0)

敦賀にて。

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昨日(2019-09-15)は、敦賀の三雲の家に伺いました。
お時間をいただき、建具の調整などをさせていただきました。
ありがとうございました!

せっかく久しぶりに敦賀におじゃましたので、妻と散策をしようと言う事になりました。

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敦賀に来て先ずは腹ごしらえ。
三国にある時にも伺っていた、ソニョーポリさんで食事をしました。
久しぶりにお会いした山本シェフ。
本当にお忙しい中、手を止めてお話いただきありがとうございました!

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さて何処、行こう?
妻の携帯は、バッテリー残量が無いとの理由で、何も調べてくれないので、僕が調べる事に。
(バッテリーがあってもぼーっと隣に座っているのが妻)

グーグル・マップで目にとまったのが「敦賀城跡」の文字。

そんなのあったっけ?
知らなかった。。
でも敦賀藩主と言えば、義理人情にあつい事で有名な、大谷刑部吉継卿。
とりあえず行ってみよう!

行ってみると確かに堀のあとらしき水路や、奇妙な高低差があるけど、城下町らしい雰囲気を感じないまま、着いたところは眞願寺さんというお寺。

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せっかくだから、コレも何かのご縁。
お参りさせていただこうと、本堂前に立つのだが、賽銭箱も見当たらない。
どうやってお参りすれば良いのか?
そうこうしていると住職さんが本堂に招き入れてくださりました。
住職さんと一緒にお参りさせていただき、その後、大谷刑部卿のお話などもしていただきました。

そこで住職さんから、大谷刑部卿に由緒ある「永賞寺さん」と「敦賀八幡神社さん」をご紹介いただき、そちらへ向かう事にしました。

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永賞寺さんは、大谷刑部卿の菩提寺。
歴史を感じる笏谷石の供養塔が立っていました。

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今日があるお礼をお伝えして、次は「敦賀八幡神社さん」へ!

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どうしても職業病で、そういう見方になってしまうのですが、大げさでは無く、佇まいが美しく細部のディテールまで行き届いた美しい建物でした。

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神社境内なのに蚊を何匹かあの世に送ってしまいながら、たくさんある社、全てお参りさせていただきました。
ありがとうございました!

血液も結構抜かれてしまい、まだ日差しが当たると暑いこの日。

水分補給にとキトテノワさんにお茶をしに行きました。

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優しいベリーのかき氷と、ずっと気になっていた新田珈琲さんのホットコーヒーをいただきました。

最後に、まだ行った事にない有名な「気比の松原」を歩いて帰って来ました。

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帰って来てから以上を友人にご報告して、その友人の指摘で初めて知ったのですが、1600年9月15日(419年前のその日)は、関ヶ原の戦いが行われたその日でした。

驚きました!

おかげ様のお導きがあったのかも知れないと、感慨深い敦賀の旅路でした。



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  # by ecru-societe | 2019-09-16 10:47 | 日記 | Trackback | Comments(0)

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