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選択

誰かに自分の考えや行動を決められたり、強制されたりすると窮屈だと思う。
誰からも強制されず自分の考えや行動の選択を全て任されると、責任の重みに窮屈さを感じる。
面白い。

不自由だと窮屈だし、自由でも楽ではない。
どちらの生き方を選択したとしても、生きてくコトは大変なんだ。

どちらの選択が優れてるわけでも、どちらかが正しいわけでもない。
もちろん自分の選択に自信を持つことは素敵なことだけど、自分と違った選択肢が誤っていると考えるのは、違うと思う。

でも、自分の選択が正しいと思うために、そのことを揺るがしかねない要因へのシャットアウトしたくなる気持ちは理解も出来る。
もしかしたら、その人にとって、そう行動しなければ「不自由だと窮屈だし、自由でも楽ではない」と、ある意味での矛盾、言い換えると、単なるわがままに感じ取れるような考えや動きをしてしまう結果になるのかもしれない。



わがままかぁ~。。。 語弊があるなぁ~。。。



「軸足を置くこと」は本当に必要なのか?
それは本当(自然・自分・自由)なのか?
そんなことを考えたりもする。

軸足を決めたり、立場を決めると、死角が出来る。
いつも同じ立場をとることが本当なのか?

感情面だけを考えると、抑止力に対して窮屈に思うだろうし、自制していくことに疲れるのも解る。
自制を選択したから、それに対して苦に感じることは許されないってことも不自然で現実的でもない。



ただ、こうも考える。

人はひとりではない。 いつも相手がいる。 社会がある。
多くの人と一緒に過ごしていく中で、「信」や「安心」が必要だ。

誰かに裏切られるかもしれない・・・
誰かに財産を奪われるかもしれない・・・
なんて毎日考えて生きてられない。。。
世の中がそんな雰囲気だと殺伐としていて、決して幸せではない。

そうでないためには
「普通の人は法律を守るだろう」という感じや
「国家や社会や家族や友人たちなどが、善良な自分を守ってくれる」という雰囲気が必要で。

つまり言い換えると「信」や「安心」がないと幸せな社会生活を、送ってはいけないと思う。



どうやって「信」や「安心」がうまれるか?と考えると。
ルールや法律など決まりがあるコト。
国家や社会や家族や友人たちなどが居続けるコト、あり続けるコト。
つまりは色々なことに安定感があるコト。

個人レベルで言うと・・・
「あの人ならきっとこう言う」とか「あの人ならきっとこう考える」などと立場や考えを他の人たちに明確にすることなんじゃないかな?
つまりは「いつも同じコトを言う」とか「いつもそこにいる」とか・・・。

言い換えると「軸足を置く」とも言える。

「わたしはどんな時もあなたの味方です」
そういわれ続けると安心するでしょ(笑)。



さぁ~て。。。

いつも同じ立場を取ることはが大事なことなんでしょうか?
そうじゃなく、そんなことを決めてしまわないで、
自分の感情などに逆らわず、その時その時の自分の本当と向き合っていくことが大事なんでしょうか?

このコトもどちらが正しいってコトじゃなく、選択がいつもそうであるように、どちらの選択にも得るものと失うものがあり・・・



わたしの場合ですか?
わたしの場合は、皆さんのご存知の通り(笑)。

  by ecru-societe | 2008-12-11 00:00 | 日記 | Trackback | Comments(0)

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