良し悪し
そのことを引き起こすことになった根本的な性質は同じで、
表面上に見えた現象に対して「悪い」と捉えたか、「良い」と感じたかの差があるだけだ。
そのことを知っていると、安易に良くないことを責められない。
例えば、、、
人懐っこくて、どんな人とも仲良くなれる社交的な人がいる。
誰とでも旨く話せたりやっていける。
コレだけを聞くと、ほとんどの人が「それは良いことだ」と言うだろう。
でも、誰とでも旨くやっていけるのは、適合能力がある反面、安定性が無いとも捉えることが出来る。
つまり、どんな考え方を持った人や、どんなタイプの人とも話尻を合わすと言うことは、矛盾が生じる可能性が高いはず。
言い換えるとグレーゾーンと言うか、遊びと言うか、明確さが乏しいことによって成り立つ性質とも言える。
そうでなければ巧みにウソをつけるのかもしれない。
この説明だと、どうも悪い人のようにも聞こえる。
このように、性質や性格がどのように表面化するかによって、また、どのように捉えて表現するかによって良し悪しがあり、その性質や性格自身は良し悪しで表現するものではないといつも感じる。
良くもなるし、悪くもなる。 そういったものだ。
だったら、その性質や性格を能力と捉え、良い方向に持っていけばコレに越したことは無い。
例え途中経過で悪いことに転んだとしても、それはその能力でよい方向に持っていけるはず。
いつもそう考える。
by ecru-societe | 2009-05-22 19:02 | 日記 | Trackback | Comments(0)