人気ブログランキング |

伝えること

「伝える」ってことの難しさは、歴史が繰り返されているところからも証明されている。

どれだけ深く人間を理解し、歴史を調べ上げ、書物にして多くの方々にその見識などを広げる状況を確保したとしても、そして多くの方々がその書物を読み、心を打たれたとしても、それでも歴史は繰り返される。

だとしたら「伝える」ことの意味があるのか?
そんな風に心が折れそうになるときもある。

だけど、それでも再び共感を求めて伝えることを繰り返す。



理解は自分を超えてはできない。
そこが伝えることの難しさである。

例えばチョコレートの味を、それだけリアルな表現が出来たとしても、食べたことのない人には中々リアルに伝わらないのと一緒で、表現の旨さが受信の旨さに一致しないとニアな位置にたどり着くことが難しい。(あっ! チョコレートが食べたくなってきた:笑)



昔、友人に「期待をしたらアカン。信じたらアカン。」と言われたことがある。

当時、ブログにも「信」をテーマに書いていたこともあり、わたしが抜けられる迷路に迷っていると感じ友人が、見かねてそう言ったのだと思う。

言葉にすると一見かなり御幣のある表現に見える。
言われた当時は、自分が感じている「信」の意味を友人に伝えた。
友人は理解を示してくれ、「期待をしたらアカン。信じたらアカン。」の意味をそれ以上掘下げることはなかった。
だから、自分の中でよりその言葉の響きが心に残ったように感じる。

そして、今、彼が言おうとしたことの真意が理解できる気がする。
今、彼が表現したニュアンスをわたしも感じる。
なるほどと思う。



「伝える」と言うことには2方向の矛盾したベクトルがある。

「伝える」のだから理解されなきゃ意味が無い。
だから相手を理解し、相手に合わせた表現を模索するベクトル。

「伝える」内容は自分の感じていることや考えなどだから、自分を見つめるベクトル。

相手に合わせた表現を模索すればするほど、自分の言葉からは遠くなってしまったりもする。
自分らしい表現だけを探求すれば、目的を達成できないこともある。
その間でずっと揺れ動いてきたと感じる。



「ART」のすごさは自分らしい表現のみを探求しているところにあると思う。
誰からどう思われるなど2人称以上の対象がなく、自分の内面だけを見つめるベクトルにあるのだと思う。

理解されようとしていない純真さ無垢さが、大きく人を動かす。 時代を超える。

「DESIGN」は双方向性が重要なファクターである。
つまり誰かに理解されるや誰かに感じてもらうということが目的にある。
だから相手を思いやる。
そして伝える。

わたしはデザインの中にいるから、相手を思いやる。
愛する。 信じる。 いや、、、愛そうとする。 信じようとする。

友人は「ART」の力をわたしに教えてくれたのじゃないかと思う。



時間軸の違いもベクトルの違いもありはするがそれらは「表現」である。
「表現」とは「伝える」ということでもある。
そこに期待や信頼があるかないかはあったとしても、、、

どちらが正しいというわけでも、どちらが崇高というわけでもない。
むしろどちらにも可能性があり、どちらも大切な表現方法だと思う。

ただ、友人のその言葉は、わたしの「伝える」という成果に大きく影響させてくれたと感じる。
ありがとう!



「伝える」ことは難しい。
でも、伝わる瞬間は、これほど幸せな瞬間はない。
これほど感動する瞬間はない。

  by ecru-societe | 2009-12-12 00:10 | 日記 | Trackback | Comments(0)

トラックバックURL : https://ecruarc.exblog.jp/tb/12483030
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。

<< シリーズ うちの長女 師走 >>

SEM SKIN - DESIGN by SEM EXE