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察する力と知る意識

何かを選ぶと、何かを失うのは当然のことで・・・。
それを選んだと表現するのか?
失ったと表現するのか?
捉え方はそれぞれだけど、
僕の大事な人たちには、それは「選んだ」って思ってくれてるほうが
僕はあんしんできるかな?(笑)

僕は関西に29年住み、福井に9年住んでます。
2つのエリアで過ごしたので、2つのエリアの違いを知れて
そこから、関西人の選択(いいところ・わるいところ)と
福井人の選択を感じることができます。

きっとそれは文化であって、どちらもの人が意識しているわけじゃないのだろうけど、
だから「選択」って言葉の認識は双方には無いのかも知れないけど、
それを「いいところ」とか「わるいところ」とか、目先の状況だけを捉えたような言葉で表現するのは違うと感じるので、あえて「選択」と言う言葉を使います。

例えば、関西人の選択は、こんな挨拶からもうかがえます。
「儲かりまっか?」
正直、そこは触れるべきところなのか?
そう感じる人が、関西人意外なら多いのではないでしょうか?(笑)

でも、関西人がしている選択があります。
それはその人を知るには何でも聞かなきゃ解らない。
触れられたくないところまで触れられることが、その人を深く知りたいと言う表現で、つまりは深く愛しているって意味だということ。
だから、関西人は人の心情に土足で踏み入るように見えるけど、それは知る意識を優先している結果です。

それに対して福井人は、察する力に比較的富んでいます。
わざわざ言葉にしない文化。
言葉にしない美徳とでも言いましょうか(笑)。
関西人のように人の心情を乱すような(?)コミュニケーションの仕方は出来るだけ避けることで調和などを図るイメージがあります。

どちらが正しいとか、どちらが間違っているとか、
そんなものは当然ありません。
また、選択自体がどちらかだけということもありません。
関西人にも福井人にも当然どちらの要素(察すると踏み入る)もあるけど、
ここでは比較的という話をしただけです。
誤解の無いように(笑)。

何かを選択すれば、何かを失う。

「踏み入ること」つまり「知る意識」を前提としている人は、もしかしたら他人から
「鈍い」とか「鈍感」とか・・・
そういう言葉をあびてしまう時もあって、その結果、自信も無くしちゃう事になるかも知れません。

逆に「察すること」を前提としている人は、もしかしたらお互いがお互いを思いやった結果、すれ違ってしまう経験も少なくないのではないでしょうか?
その結果、時には人間不信に陥ることも・・・。

何かを選択すれば、何かを失う。
多分、自然と潜在意識の中での選択だから、選択に自覚が持てず、だから自信を無くしちゃったり、人間不信に陥っちゃったりしちゃうんだろうけど、自分と違う人を見たり知ったりすることで「わたしは比較的知る意識が強いかも」とか「わたしは察する方がむいてるかも」って自分を知って、それが「選択」だって認識できれば・・・
もしかしたら、僕の大切な人たちは今より少しだけ楽じゃないかなぁ~って僕は思います(笑)。

  by ecru-societe | 2010-11-08 10:48 | 日記 | Trackback | Comments(0)

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