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枠(わく)

例えばLOVEとLIKEの境界の意味。
僕には理解が出来なかった。

人を思うときに、地球の裏の側にいる人でも直ぐ隣にいる人でも、それは方向性は変わらないし。
変わるのは傾けられるその熱量とか、脳内にいる専有時間とか、それらによってのその人に向ける愛の表現方法の違いとか・・・そのようなものであって、人を思うという考え方には何も変化がないから。
LOVEとLIKEの境界線の話をされても、言いたいニュアンスは解らない出のないが・・・僕にはそこには境界線が無いと言うか・・・むしろ全てはLOVEだって思ってた。

今もその考えには変化は無いけど、昨日、どうしてボーダーラインだったり枠組みのようなものが必要なのかを知った。
それは自分のLOVEの表現方法を考えた時に、痛感した。

どれだけ誰かを近くに感じていても、だからといって当然(経験や感じていることなどが)同じではないから、自分だけの目線からの言動が本当にその人のためになるのかを考えた時に、それはすごく難しいと感じることがある。

例えば、「何でも話せる」ってことが距離の近さを意味したり、関係性の向上を考えても必要なことって一見思える。
でも、「何でも話すこと」が必ずしも関係性の向上につながるとは言えない、むしろ感じ方の違うなどを大きく感じてしまうと、その人がすごく遠くに感じてしまうって可能性も大いにある。

だから本当に「何でも言ってもいいのか?」って悩む時もある。

例えば、自分が経験できていない「痛み」のようなものを感じてしまうと、その話に触れてもいいのか?触れる事で逆にキズを深くしてしまわないか?を考える。
そして、同じ痛みを感じられていないと感じたら、言葉では無く他の方法で癒せる方法を考えるのだけど・・・
きっとそれらは実質的ではない方法でしかない。。。

同じ痛みに感じられる方法。
もしくは同じ痛みと同様の効力を持たせる方法がある。

それは、その人の人生を共有するってこと。
例えばそれは「結婚」という枠組み。
責任と権利を共有することを誰しもが許す、公認の枠組み。
枠組みにはそんな力がある。

「採用」とか「付き合おう」とか「結婚しよう」などは、喜びも悲しみも心地よさも痛みもすべて共有するって約束で、、、
僕が言えなかった実質的な言葉も言える権利と、言った責任を負うことが出来るってことなんだって。
昨日は枠の意味を痛感した。



  by ecru-societe | 2010-11-29 14:06 | 日記 | Trackback | Comments(0)

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