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想い 【アイ】

誰よりも想っていたとしても、実質的に守れなければ、それはどうなんだろう?

例えば親が子供を想い。
深い愛情があったとして。
でもそれを言葉にせず、行動にもせず、また経済力もないので一緒に暮らすことも出来ず。
それでも「愛」と言ってもよくて、想うことに意味があるのだろうか?
子供にもその気持ちが伝わっていればまだしも、そうでないとしたら・・・
想っていた事実は意味があるのだろうか?

伝わることに意味があるのではなく、ただただ想うことに意味がある。
本当にそう言いきれるのだろうか?

もし、子供を愛しているのなら、一緒に暮らせるための経済力を身に付ける努力をするのではないだろうか?
もし、子供を愛しているのなら、子供が信じられなくなりそうな時は、折れそうな心を支えられるような言葉や行動をとるのではないだろうか?

本当に感情として想っていたということだけで、想っていたといっていいのだろうか?
何らかの結果が必要ではないだろうか?

結果。
例えば気持ちが伝わるとか、守り通すとか、大切に出来るとか・・・


解りやすく親子関係を例えにしたけど、全て「愛」で、色んなところに言える事。
例えば、「仕事」もそう。
例えば「友人」や「家族」もそうだろう。

目に観えないものはとても大切で、むしろ目に映らないことの中にこそ真実がある。
だけど「想っている」という目に映らない事実だけで、「愛」だけではきっと意味をなさないのではないかと僕は思う。
それを一定のカタチや成果、結果にしないとダメなんじゃないかと思う。

その為に、「愛」をちゃんとしたカタチなどに出来るために、例えば勉強したり、学んだり色んなことをして経済力や影響力や人間力などなど、「チカラ」を身に付けなきゃいけないのではないか?
そう思うのです。

そしてやっぱり、そのチカラで「愛」を「カタチ」などに出来ないといけないんじゃないのかなぁ~。
そう感じます。

想っていればそれでいいというのは、本当の意味で想っていないんじゃないかと、感じるのです。
いや・・・それは言いすぎかな・・・。

アイのない人なんか、いないよ。
きっと。

でも、アイをカタチに出来る人は、立派な人だと思います。





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  by ecru-societe | 2012-04-08 00:00 | 日記 | Trackback | Comments(0)

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