光を求めて選択する。
多数の選択を許される環境。
この場合、自分の立場や考え方、方向性などなど、自分自身を明確に出来ないと判断が出来なかったり漠然とした不安に捉われたりもする。
しかし、自由の幅が広く、個人に合わせた社会を形成できる可能性を大いに秘めている。
もちろん、自由自体は枠の中にしか存在することが出来ない概念で、どこまでいっても枠からは逃れられないが・・・。
それに対して、(ある程度選択しやすいように:?)絞り込まれた環境。
この場合、老若男女に理解されやすい為、一定の安心感を得ることもできる。
迷うことが少なく、比較的強く自分を持たない人でも選択しやすく、明確であると感じられる場合もある。
しかし、個人の自由度の幅はかなり狭く、社会に個人が合わせていくイメージが払しょくし難く、息苦しさなどを感じる場合もある。
そもそも枠や制限からは逃れることは難しく、いつも現実は選択を迫るもの。
いや。。。
選択すら幻想に過ぎないのかも知れない。
だとしても、僕は枠や制度や制限の中にあっても、出来る限りであるにしても自分らしさを諦めることなく、許される限りの選択をしていきたいと感じている。
もちろん、それが許されるのは、みなさまのご支援・ご協力あってのことと、とても感謝している。
自分だけでは何もできない。
何が正しいのか?
それはどの時間軸で捉えるのか?
どの立場に立つのか?
何を最も優先するのか?などなど様々な要因で変化することもあるのかも知れない。
しかし、どこからでも出来ることはきっと存在し続けるだろう。
諦めない限り、道は拓けるだろう。
自分を信じて自分の選択で歩んで行かないと、責任すら負えない。
責任を負えないのなら、本来の成長すら望めない。
未来はいつも明るいわけではない。
でも、闇が続くわけでもない。
やまない雨はない。
きっとまた晴れる。
要は光を求めて歩み続けるということだと思う。
ちなみに・・・
光とは
粒子であり
波だそうだ。
物質でもあり、ゆらぎでもある。
いつも心に光を!
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by ecru-societe | 2013-08-21 19:33 | 日記 | Trackback | Comments(0)