ちょうど25年前。
ちょうどこれくらいの時間でした。
毎日、決めた時間に電話をしてました。
夏休みだし、返事待ちだし、出来る事は毎日決めた時間に電話をして、その時間を待ってもらえるように工夫する事でした。
25年前の8月6日に、告白して、返事は夏休みが終わる日まで待ってくれとお願いされたのでした。
実は・・・色々あって・・・25年前のその恋は成就しませんでした。
でもきっと、全て必要な時間だったのでしょう。
人間万事塞翁が馬ですからね!
上記は妻との25年前の話。
そう。
遠回りして、様々な方々にご迷惑をおかけしたにも関わらず、様々な方々のご支援・ご協力があって、25年前の恋は実っています。
僕らの子供達は、ちょうど僕達が出逢った頃と同じ年齢をむかえています。
25年前の僕達のように、運命的な出逢いを経験したり、後に影響を受けるような苦い経験もしたりもするのでしょう。
もちろん、願わくば、僕達のような遠回りなどをして欲しくは無いです。
僕らの経験を上手に利用してもらえるなら、惜しみなく全て話したいと思います。
でも、痛みを知らずには、人は成長出来ないのかも知れません。。。
無駄な経験など何処にも存在しないのだと思います。
全てなるべくしてなり、起こるべくして起こっているのだと思います。
25年前から一緒にいたかったとも正直思います。
でも、そうだったら子供達と出逢えなかったのは、それはあり得ないです(何よりも避けたい事です)し、今の有り難さを強く感じられる自分になれたのは、ここまで来るに至った全ての経験があっての事です。
僕は思います。
僕も妻も僕らの子供達も、実は既に仕合せな筋書きを(人生を)手にしています。
でも、それには(その仕合せな筋書きに乗っかるには)自分を知り自分を受け入れ自信を持つ必要性があります。
筋書き(運命)は決められたものでは無く自分の(顕在的・潜在的に関わりなく)意思で書き換える事は可能です。
自分を信じて
ありのままの自分を受け入れ
自信を持って生きていってくれさえすれば・・・
僕は強くそう思います。