鵜呑み。

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自分以外の誰かと一緒にいる為に・・・

誰かの考えを「解る」とか、誰かの想いに「気付く」とか・・・その事には大して意味が無いと言うか・・・むしろ解りようが無いと考える。

「理解とはおおむね願望に基づくモノ」との見解は、僕も全く同じように考える。
本来の理解などしない。
単に自分の願望にカラチをはめ込んで都合に合わせているだけだ。

だとしたら、人が一緒に存在する為に何が必要か?

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相手を「信じる」とかって言葉にも違和感を覚える。
ベクトルを持つ言葉は、逆の意味や要素が存在しているからだ。

「信じる」と意識しているのは、「信じられない」状況が存在し得るから、そこから離脱を図って発している言語。
だから、違和感を覚える。

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最もしっくりくる言葉は、「鵜呑み」だ。

人が一緒に存在する為に必要な事。
一緒にいようと決めたのなら、必要な事、それは「鵜呑み」だと感じる。

本来の意味での理解が出来るなら、それに越した事は無い。
しかし本来の意味での理解など存在しない。
そもそも、全て理解が出来るなら、一緒にいる意味すら存在するのかが疑問だ。

何故なら、一緒にいる意味は違いにあると考えている。
違いとは、視力(遠視・近視)や立場や方向性など視野によって生まれている部分も大きく存在している。

本来の理解をするには、自分の視界を放棄して相手の視界を眺めると言う意味にも思える。
もしそうだとしたら、二人いる事で減らしていた死角を、二人いるのに広げる事になる。

だから、全て本来の意味での理解をした場合、一緒にいる意味が無くなってしまうと考える。

むしろ「理解とはおおむね願望に基づくモノ」で良いのだ!

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だから「鵜呑み」だ。
自分に見えない景色は、相棒に任せて、相棒が発する情報は、自分に見える訳が無いのだから「鵜呑み」にするという訳だ。

これで一人では無く、二人でいる意味があるのだと考える。

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「(本来の)理解」は不要。
「信じる」はウソ臭い。

必要なのは相互に行う「鵜呑み」だ!

PS
元也。
誕生日おめでとう!!



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  by ecru-societe | 2018-07-22 23:06 | 日記 | Trackback | Comments(0)

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