最近はあるのか無いのか?
昔はあった。
大人が子供に「勉強しなさい!」と必死に訴える場面。
「大人になれば解る。でも大人になってからでは遅い。」
そんな風に言われる事は度々あった。
当時の大人の訴えが正しいかどうかは置いておいて、年齢を重ねる事で解る事は、確かにある。
先日は大学時代の友人から、教授が僕に期待してくれていたと教えてもらった。
当時はいじめられている位に思っていたが、今となっては「確かに!」と思う事が出来る。
その他には、昔は爪楊枝を使うタイミングを知らなかったが、最近は食事の後、爪楊枝を探している。
その事からも解る様に、今、自分と無関係でも、存在している物は全て意味があって存在している事を知る。
歳を重ねると経験も増え、それに伴って解る事も増える。
忘れる事も増えるけどね!
「年長者の話は聞くもんだ!」って言葉の意味も良く解る。
話を聞いたところで、経験していない事は実感出来ず、理解出来ない事も事実で、、、
だからやっぱり痛い目をして経験を重ね、大人になって行くしか無いのかも知れない。
誰かの言いなりで一旦は難を避けても、それでは何を得て何を失ったのかが自覚出来ず、きっと何処かのタイミングで何のためらいも無く避けれた筈の難に自ら赴く事はあり得る事だと思う。
だから変に逆らう事なく起こる事を受け入れて、星に願いを神に感謝をすれば良いのかも知れない。
とは言え、僕は暮らしのプロフェッショナル。
暮らしに関する経験や知識は、多少なりとも一般の方よりは多く持っている。
一方で、暮らしは十人十色である事も、経験から強く感じている。
僕に出来る事と言えば、僕から観えているお施主様らしさをお住まいというカタチに落とし込んでご提案し、その上で今のお施主様が選択される事のその先を信じて共に歩み続けて。
もし仮に不連続な変化の中で、その時の選択が逆目に出る様な事が発生した場合には、そこから出来る最善策を絞り出し、やはり共に歩み続けようとする事なんだと思う。
もちろん、相手の同意があって実現出来る事で、僕だけの力では何も出来ない事も解っている。
住まいを考えるとは、そういう事を言うのだと思う。
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