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歴史

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伝え聞く歴史(物語り)や、時には事実でさえ
当時の権力者などによって
書き換えられたり曲げられる。

だから、どんな時もそうだが、特に歴史を観る時は、鳥瞰的な見方から考えていく必要がある。

鳥瞰的である事。
出来るだけ高くから(多角から)広く眺める事。

どこまで高い位置から眺める事が出来るのかは、観る人の力による。
力とは、出来るだけ正確な情報を出来るだけ多く得る事。
他に、物理を知る。深く人を感じる。などなど様々なモノが力となり得る。

しかし幾ら力を望んでも、自分を超えて、観る事も感じる事も出来ない。
自分が触れている世界は、自分でしかないのだ。

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コレもどんな事にも言える事だが、歴史上の事実においても、そもそも良いも悪いもない。
あるのは必要な事。

全ての事は、今につながる為に必要な事だっただけで、もしある事実に評価が存在するのなら、それは時の権力者の都合。
もしくは、自分自身の価値観や好みによるもので、ある事実には、良いも悪いもない。

だいたい、他人の事をとやかく評価するのは、良識のある者のすることでは無く、自分の事が自分で評価できる様に生きて行きさえすれば良い。

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自分だけの正義を振るい、自分勝手に生きれば良いと言っている訳ではない。
自分に正義がある以上、他人にも正義がある事は、当然の事で、それを知らないのは良識のある人間とは言い難い。

ただ、自分を評価できないのでは、折角いただいた人生の意味が理解し難くなる。

そもそも世間などは、右に左に寄せては返す波のようで、あっさり評価を覆すもの。
浮世とは、そういうニュアンスを表現した言葉に思える。
だから、プロパガンダに影響される必要性は無く、事実だけを曇りなき眼で見定める、その眼を持っていれば良い。
その眼は、自分に恥じない生き方をして、そこで得る経験や知識から深まって行くものだと思う。




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  by ecru-societe | 2019-10-27 14:50 | 日記 | Trackback | Comments(0)

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