信 および 愛
気にすることなく人を愛しなさい
あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく善を行いなさい
目的を達成しようとする時、邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなくやりとげなさい
善い行いをしても、おそらく次の日には忘れ去られるでしょう
気にすることなくし続けなさい
あなたの正直さと誠実さとがあなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で誠実であり続けなさい
あなたの作り上げたものが壊されるでしょう
気にすることなく作り続けなさい
助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく助け続けなさい
あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい
蹴り返されるかもしれません
それでも気にすることなく最良のものを与え続けなさい (マザー・テレサ)
『愛すること』は難しい。
『愛は盲目』というが、それならまだいい。
『信じること』は妄想に近い。
それでもひたすら『信じる』。
いや『信じた』ふりなのかもしれない。
それが『愛すること』だから。
『愛』は『信じる』ことだから。
『自分自身』の問題だから。
『妄執』かもしれない。
しかし『信じる』しかない。
『信』≒『愛』が人からなくなると、それは『不安』≒『恐怖』が人の心の中にうごめくことになる。
『信じられない』と人のせいにするのではなく、人を信じよう。
『信じる強さ』を持てる人になろう。
マザー・テレサの言葉を忘れずにいよう。
『道理であること』は難しい。
『無理』が通れば『道理』がひっこむのが世の常。
しかもビックリするぐらいに『道理』でないことは日常に転がっている。
と言うかあまりに普通に目にする。
だからといって挫けてしまうと、自分が『道理』で無くなってしまう。
でも、俗世間の中で独りになった気がして不安になりそうになる。
『道理』は『道理』と自分をふるい立たす。
『道理』を貫ける人であろう。
マザー・テレサの言葉を忘れずにいよう。
by ecru-societe | 2007-04-20 00:00 | 日記 | Trackback | Comments(0)