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2011年 04月 24日 ( 2 )

 

シリーズ うちの次男

いつも次男のサッカーを見に行くと、思いやりとお節介の境だったり、愛の難しさを考えさせられる。

今日は久しぶりに次男のサッカーの試合を見に行った。
(あまりに寒くて、風邪をひいてしまった。。。)


長年、次男のサッカーに関することを見てきて、自分なりに理解しようと色々考えて、昔よりはちょっとはリアルに理解できて、その結果、僕は次男のサッカーを見に行かなくなった。
いや、見に行く必要がなくなったと言った方が、正しいかな?(笑)

だけど、今日、見に行くと、やはりまた同じことを考えさせられる。


そもそもコミュニケーションとは、共通の認識を高める事で、互いに理解しあうために行うんだと僕は思う。
でも人には想いがあって、その想いが愛だって錯覚してしまうくせがある。
また自分の潜在的な願望には自分では気付けず、顕在化している希望を相手に伝えることで、相手はそれを願望と勘違いして熱心にそのことに取組んだりする。
これで出来た行き違いによって、ネガティブな感情だったり、怒りだったりが発生し、連鎖するのを何度も見た。

そのことで言葉や表現、つまりコミュニケーションを建設的ではないことに利用してしまったり、むしろ破壊的な表現になったり。。。


次男のサッカーを見てて思うことは・・・
「サッカー」という言葉の定義の不一致みたいなことがたくさん存在している事だ。
僕はいつも次男の見方で、次男の言う「サッカー」が実現できて、それで次男が満足していれば、それでいいと思っている。
僕にとって、そのことが次男の見方って意味でもある。

そして何も手を加えなくても次男の言う「サッカー」は、実現してて、僕が手伝う事は何もないって僕の中で認識(理解)されているから、だからそのことが次男のサッカーを見に行かなくなった原因だ。
つまり、既に満たされている。


僕が理解している次男の言う「サッカー」とは、
それはヒカリやこうちゃんやまっちゃん、りんりんやよしき達、みんなでボールを追っかける事だって理解している。

次男はみんなとボールを追っかける事が大好きで、それ以外のことは本当は切望していないって理解している。

もちろん、今よりうまくなりたいと思ってるのは事実だろう。
でも、サッカーが好きって意味の原点は、そこにあるんだと思う。
だから、例えば監督に指導されて、監督の意図するところへの理解があいまいでも、それを明確にしようとはしない。
「ハイ!」とは返事はするけど、それは反射神経的なものであって「了解しました!」という意味ではない。

監督はきっと「了解しました」って受信している。
そして監督は子供達がした約束を信じ、また監督が考える、子供達がサッカーから感じられる喜びのために誰よりも力を尽くされる。

だから大きく行き違い、、、
愛が落胆を生み、、、


これに似たことが監督や親や子供達の間でたくさんあって・・・

それぞれの「想い」や「理解」や「認識」や「概念」や「温度」や「知識」・・・・・
そんな色んなものの不一致やひらきが、決して解決や結果には至らない、限りなく無駄に近いと感じてしまう事へとつながっているのが、すごく多くの時間が犠牲があるのに残念に思うのはきっと僕だけなんだ。


僕は次男の見方。
次男の想いを実現するためには協力したい。
僕はいつもそれだけ。

誰にどう思われようと、次男の想いが実現できるのなら、それが一番いい(笑)。

  by ecru-societe | 2011-04-24 23:45 | 家族・地域 | Trackback | Comments(3)

シリーズ うちの次男

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今日、うちの次男が、自分の部屋を一生懸命掃除していました。

「えらいね!なんで掃除してるの?」と聞くと
『花粉なくしたいから』って。

ああ、、、
余計に花粉が部屋に舞いそう。。。

でも、カワイイ発想だ(笑)。

花粉症が辛いんだね・・・。
可哀想に。。。

  by ecru-societe | 2011-04-24 00:00 | 家族・地域 | Trackback | Comments(2)

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