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2013年 03月 13日 ( 1 )

 

信じることが持つ力。

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「信じる」ことで最も力を発揮することは、自分の範疇を超えられるってことかもしれない。

自分の目は、自分の顔についているから、カガミがないと自分の顔すら見られない。
それと同じように、自分の目線や自分の立場がある以上、自分には観えない死角がどうしても存在する。

そこで目線や立場、考え方などが違う他の人がいるんだけど、自分には観ることが出来ない何かを、他の人の意見、そのまま受け入れるのは、とても勇気のいる事だと思う。

それはちょうど、人の手を取って目を瞑ったまま歩くようなもの。
腰は引けてスイスイとは歩けないのが実際ではないだろうか?

それは全面的に手をひいてくれる人を信じていないから。
もしかしたら段差があるんじゃないか?
もしかしたら障害物があるんじゃないか?
手をひいてくれる人のことを信じるんじゃなく、目を開けて歩いた自分の経験やネガティブなあり得ない想定を思うから、腰が引けうまく歩けない。

そこで、信じる。
それが出来れば、自分の目を使わなくても知らない場所ですら歩いて行ける。

これと同じように、自分が観えないことでかつ、相手が観えていることを、どこまで信じられるかが、「信じる」ことが持つ力を最大限引き出せるかどうかにかかわってくる。

自分の経験や想定では理解できない意見。
その全てを受入れることが出来たら、とてつもない可能性が広がる。

そのことを可能にするのは、生涯を共にする覚悟だったり、絶対的な信頼だったり、何もかもを受入れるキャパシティーの広さだったりするのかも知れない。

僕は、以前は、盲目で信じるということは、どこか無関任に思い、理解をした上での選択の中にこそ「信」の本来の意味があると思ってきた。
もちろん、今でも自己責任の考え方は変わらずある。
しかし、例え盲目であったとしても、信じた事自体を自分の責任とし、自分で全てを負う覚悟が存在しているとするのなら、それもありだと今は感じている。

本来の「信」を知り、感じている人は、自分の力を最大限に引き出すことが出来、新たな可能性まで引き寄せる。

僕はそう考えている。

そして、信じていれば、きっと間もなくサクラはサクだろう。
ハルは来るだろう。





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  by ecru-societe | 2013-03-13 18:33 | 日記 | Trackback | Comments(0)

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