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カテゴリ:日記( 1447 )

 

僕が僕であるために ♫

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尾崎豊さんの
「僕が僕であるために」
久しぶりに弾き語ってみた。

だからでは無いけど
ふっと思った。
僕が僕でいられるのは、まわりの方々のおかげだなぁと。

僕が僕で専念出来ているのは
僕が見えなかったり届かなかったり及ばなかったり・・・
僕のテリトリー以外のとてつもなく広いエリアを
僕以外のとてつもない多く人たちが埋めてくれているからに他ならない。

世界中の
もしかしたら宇宙中の皆んなが
僕の目に決して触れる事のない
きっと全ての部分に目を配ってくれて
そのおかげで
今日も何事も無かったように
太陽が昇って沈む。

だから僕は僕に専念出来る

同じ景色を誰かと一緒に見るのは嬉しいけど
同じ景色を強要する必要はない。

それどころか
それぞれがそれぞれの景色を
まるで地球防衛隊に様に
イヤ!宇宙防衛隊の様に
見守る事が大切なのかも知れない。

僕が僕である事は
僕が僕である事を応援してくれる方々はもちろん
そうではなく僕が僕である事へ抵抗する様に思える人たちすら
僕が僕であるために
全て必要なんだと思う。

尾崎豊さんの「僕が僕であるために」を弾き語ったからでは無いけど
そんな事をかんがえていた



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  by ecru-societe | 2019-01-25 22:10 | 日記 | Trackback | Comments(0)

妻はポンコツ

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妻はポンコツ。

そんな妻に対して僕は、自分でもよく解らない絶対的な信頼感なのか安心感の様なモノを、いつもは強く自覚せず気付けば感じている。

とても表現するのが難しい。。。

要するに・・・基本的に人として間違わない事を疑わない。
つまりは、単純に余計な心配もしないし間違い無いと思っている。
簡単に言うと「正しい人」と認識している。

しかしこの「正しい」と言う言葉。
実は妻をイメージする際には、全く一致しない言葉だ。

妻はしょっちゅう言葉を間違える。
しょっちゅうウッカリしている。
つまり妻はポンコツ。

なのに基本的な軸の部分を疑わない。

一方で、いつも正しく生きようと頑張っている人がいる。
正確な言葉を使い、規則正しい生活をおくり、隙がなく精進している人だ。
正義感が強く、曲がった事が嫌いで、悪を許さない。

普通に考えるとそう言う人を「正しい人」と称して信用のおける人物となり得るのだろうけど、妻を表現する時、上記の内容はあまり一致したように感じない。
また、上記の人物に安心感を覚えない。

その事から気付いたのだが、「正しい人」で安心して信頼出来、共に歩もうと思える人とは、清く正しい考え方でいる、いつも間違えない人では無く、清く正しい考え方でいる、時々間違える人なのかもしれないと感じた。

間違える人は、自分が不十分である事を知っている。
逆に大概間違えない人は、正しくある様に誰よりも努力している。

この違いは、間違ってしまった他人への接し方に影響する。

自分が不十分である事を良く知っている人は、間違ってしまった他人に対してお互い様と思いやすく、そこから自分の出来る事(フォロー出来る事)を探しやすい姿勢(体勢)にある。

一方、正しくある様に誰よりも努力している人は、間違ってしまった他人に対して「努力を怠っている」と認識しやすい状況にある。
その為、自分の出来る事を探すより先に、相手を軽蔑したり、酷い場合には罵声したりと共に歩む姿勢は感じられない。

論外は、自分が不十分(いい加減)なのに他人に完璧を求める奴だが、、、

正しくある様に誰よりも努力している人は、自分が完璧では無いから完璧に近付ける様、努力している。
つまり人は、どこまでいっても不十分なのだ。
だとしたら、先程述べた論外の人とその前に述べた努力を怠らない人は五十歩百歩という事になる。

常に正義を味方とし、間違えの無い様に努力を怠る事の無い人。
それでも人間なので間違える時もある。
だから誰かが間違えたりした場合、そこから自分のできる事を探す。
決して人を責めたりしない。
そんな時間は無い。
生産性のない無駄な事。
そう知っている間違える事もある人が、共に歩むべき人なのかもしれないと僕は思う。

妻はポンコツ。
妻程では無いにしろ、僕もポンコツ。
イヤ、冗談。
僕にないものは妻が持つ。
妻にないものは僕が持つ。
共に歩むべき人。
常に正義を味方とし、時々間違える人。
責める暇があれば、(愚痴りながらも)自分の得意な事でフォローしている人。

にしても妻はポンコツ。
共に歩むべき人。



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  by ecru-societe | 2019-01-22 23:17 | 日記 | Trackback | Comments(0)

一年の計は元旦にあり

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一年の計は元旦にあり。

今年はどんな年にしようか?
どんなコンセプトにしようか?
今年のテーマは何にしよう?

昨年は「社会性」がテーマだった。
「個」に着目し、「個」の充実を検討し続けて来たが、たくさんの「個」の充実を考えているうちに「公」を意識せざるを得ない状況になった。
その頃から「社会性」を検討するようになり昨年まで「社会性」について考えてきた。
今ももちろん考え続けているのだが、昨年末くらいからチョットずつその意味合いなのか、軸足なのか、変化してきた。

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そこで今年。
今年は「遊び」をテーマに考えようと思う。

「遊び」と一言に言っても様々な意味や局面がある。

娯楽的なニュアンスもあれば、ゆとりや空隙的なニュアンスもある。
距離感や社会性にも通じるニュアンスを感じる。

そこで今年のテーマは「遊び」としたいと思う。



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  by ecru-societe | 2019-01-01 23:35 | 日記 | Trackback | Comments(0)

真実

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何が真実か?
そんな事はわからない。
見る方向によっては、光の当たり方の違いや背景の違いなどによって、同じ色も違って見えるように、立場も違えば同じ事も違って受け止められる。
だから、真逆でもそれぞれが真実なのかも知れず、何が真実かはわからない。

だとしても一方的な情報や、又聞きの情報。
当事者以外の情報から判断しようとすると、当然、真実からより離れていってしまう事だけは明らかで、判断材料に適さないと考えられる。

とは言え、(こう言ってしまうと「そんな事は無い!正しい判断をしようとしている」と怒られてしまうが)実際には別に全ての人が「正しい判断」を求めている訳では無いどころか自覚しているかいないかは別として、自分にとって都合が良ければそれで良いのだろうと思う。

その証拠に(僕は観ないが)多くの人がネットで見ず知らずの人が書いた評価を参考に、店や商品を選んでいる。
自分の目や耳や舌などで試さないと、本当の情報は得る事が出来無いのに・・・

「理解なんてものは概ね願望に基づくものだ 」
イノセンスに出てくるセリフだが、真実なんて殆どの人が求めていない。
ちゃんと理解しようとしていないのに、真実など分かりっこ無い。

歌詞に「真実」って言葉がよく出てくる尾崎豊なら、このブログ、どう読んだだろう?



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  by ecru-societe | 2018-12-25 00:05 | 日記 | Trackback | Comments(0)

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自分がいつも正しいと思い込んでいる人
それと
間違わない様に細心の注意を払っている人
この人達は、間違った人に非常に手厳しい。
怒鳴りつけたり
相手ばかりを責めたり
また責めるだけで自分の出来る事をしようとはしなかったりもする。

意外にも
自分が間違う事を知っている人の方が
間違えを起こしてしまった人に対して
厳しく責めたり
問い詰めたり
怒鳴ったりする事はなく
状況に適した対応をする。
間違いの無い対応をする。

自分が間違う事を知っている人の方が、間違いのない対応をするのが面白い。

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また思い込みが激しかったり
鈍感で空気を読むのが苦手な人程
「わかる!」
と相手に同意する回数が多く

相手を理解する事に一生懸命だったり
洞察力の高い人程
「人の事はわからない」
と考えているのも
面白い。

逆さに考えると観えてくる。



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  by ecru-societe | 2018-12-24 23:19 | 日記 | Trackback | Comments(0)

正義の味方、ピーチボーイ。

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一方的な話は分かりやすい。
しかし分かりやすい話には、ディフォルメやフェイクがある。
桃太郎は鬼を退治したヒーローとして描かれているが、実際、鬼は自分自身の心の中にも存在していて、それを完全に追い出せた訳でも無いのに、鬼を懲らしめて罪悪感は微塵も感じないのか?もし感じないで鬼と例えられる者の首をはねてヒーローだと思っているなら、それこそ鬼そのものだと感じる。

一方的で分かりやすい話は、物事を多面的に捉えていないだけなんだ!

とは言え、自分の目から映る一方的風景も、事実ではあり・・・
向こう側からこっちを見ている人(逆の立場の人)の事を無視した訳では無く、そんな事を考えると何も言えなくなる。

僕が経験した事や見えている事を伝えると、傷付く人も出てくる。
しかし、何も伝えなかったら、逆側の景色だけが残って、僕が見た景色は無かった事になってしまう。

物事はいつも違った捉え方がある事実を知りながら、僕は僕に見えている事を伝えようと思う。

つづく



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  by ecru-societe | 2018-12-14 22:14 | 日記 | Trackback | Comments(0)

すばらしい日々

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ユニコーンの「すばらしい日々」が頭の中で繰り返されるのは、「暗い話にばかりやたら詳しくなったもんだ」ってフレーズを考えるから。

「暗い」という事は、「明るい」が表裏一体に存在するはず。
確かに暗い話に詳しくなったけど、その分明るい話にも詳しくならなきゃおかしい。

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価値観の多様化
個性の時代
僕はワクワクした。

普通が無くなり、当たり前が存在しない。
不自然に一定化されず、自然に不規則が連続する。
自由だ!

でも最近、耳慣れない病気が増え、鬱だという人もよく目にする様になったと感じる。
錯覚だと良いのだが、、、
もしかして不連続性の今日に、不安を覚える人が多いのだとしたら・・・
明日も昨日と同じような普通の日常が来る方が安心できるとしたら・・・
多くの人は、線路の上を歩く事をシアワセと言うのか?

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僕は多様化して可能性が広がる世界にワクワクした。
まるで新種の生物が発見される様に。
まるで新大陸が発見される様に。
僕はワクワクした。

何かの圧力に押し込まれないで、自分でいても良い、自由でいて良い。

でも最近は、そうでは無い雰囲気を感じる。
気のせいかな?

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明るい話にも詳しくなった事。

それは、今まで見逃していた様な人のあたたかい気持ちも、感じられる様になった事。

当たり前じゃない不条理な世の中にあって、それでも想ってもらえる有り難さを強く感じられる様になった事。

ずっと一緒には居られないから、今日、一緒に居られる喜びを感じられる様になった事。

他にも色々。

暗い話のその裏には、必ず明るい話がある。
どちらに焦点を持っていくかの違いだ。
光と影は表裏一体。
同じに存在する。

https://youtu.be/UA33zQ-DY1w



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  by ecru-societe | 2018-12-12 22:58 | 日記 | Trackback | Comments(0)

本当の事。

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本当の事をそのままの言葉で伝えると、評価され無いどころか非難を浴びる時もある。

今日アップされていた言葉に深く共感し、同時に驚いた。

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全ては自分の為。
全く同感。
流石、言える人には言える言葉だと感じた。

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表現は、受信者があってされるものだから、正確に受信されてこそ意味があるのではないか?
だとしたら、聞こえる可能性の低い言葉を発信するのは・・・などとムダな事を考えない自分の感じる言葉をまっすぐ発する。
「アート」の最大の力をこの言葉から感じた。

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言葉を発した結果、相手の胸を貫くか?
はたまた自分が後ろから背中を刺されるか?

そんな事は一切関係無い。
「ただただ自分でいたい」
そういう感じもステキだと思った。

本当の事をそのまま言葉にすると、評価されないどこか非難を浴びる時もある。

でも本当の事は本当の事なんだ!!

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本当の事は理解され難く
ディフォルメが効いていたりフェイクだったり
嘘の方が本当の様に理解される。

無理が通れば道理がひっこむ様に・・・

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本当でありたい。



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  by ecru-societe | 2018-12-02 23:42 | 日記 | Trackback | Comments(0)

ロミオとリミテッド

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おかげさまで今日は久しぶりにゆっくりと食事が出来ました。

昔、昔と言っても10年以上前に、エクコミュやエクコミュVol02、そしてココ、エクコミュVol03にて、福井を中心とした食事の出来るお店をアップしていたので、頻繁に外食をしているイメージを拭えないのですが、ここ最近と言うか、かなり前から外食は殆どしません。

また外食する場合、行くお店がいつも同じお店になりました。
自分にとって大切なお店って、実はそんなに沢山の無いのかも知れませんね!

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今日伺ったお店も良く行くお店のひとつ。
ベッキエッタです。

チーズなどが有名で、本当に美味しいイタリアンのお店。

少人数しか対応出来ず、急に伺うとよく「今日はダメ!」と断られてしまいます。

「数(数が多い事)」は確かに大きな価値のひとつではありますが、僕が良く伺うお店は、「数」ではなく「質」に拘りが強いお店が多い気がします。

僕も昔から「普通」って言葉や「皆んな言ってるよ!」ってセリフが本当に受け入れ難く感じます。
他に大切なモノを強く感じてしまうのです。

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「本質」が理解出来ない程、「数」を信じると感じます。
後は自分を持っていない人程、オーディエンスの声(普通)に左右されがちです。

とは言え、「数」がもやらせてくれる恩恵が大きく、僕らの日常生活は「数」無くしては成り立たないのも事実です。

でも僕は「数」だけではない、「数」を追い求めると得る事が出来ないモノを大切に感じています。

そもそも「数」に価値を感じると、福井は人口が5番目に少なく県なので、価値が低い事になってしまう。
それは違う!
福井には他県に無い価値があり、また人口が少ない事での価値もあります。

希少価値(リミテッド)って、とてもそそられませんか?(笑)



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  by ecru-societe | 2018-11-29 23:46 | 日記 | Trackback | Comments(0)

二つの言葉

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「人のふり見て我がふり直せ」

最初は、誰かの嫌な面を自分は持たないように、人のふり見て我がふりを直すとの意味だと思ってた。

もちろん、行動はそんな感じ何だろうけど、意味は少し深くなった。

「アホって言った者がアホなんです」

子供の頃は、全く意味が分からなかったが、今は解る。

アホって概念が存在していて、アホって思った。
それは自分の中にアホが存在しているから理解が出来た事。
つまり自分がアホだから、相手にアホと感じた。
それを「アホって言った者がアホなんです」という言葉になる。
カガミの法則である。

その論理を「人のふり見て我がふり直せ」にあてはめると、人(相手)に「嫌」と思うポイントを見つけたら、それは自分の中に存在しているのだから、直せば良い。
という意味になる。

きっとこの言葉を最初に言った方は、そういう思いで仰ったに違いない。
しかしその言葉を聞いて伝えた者の中には、カガミの法則が理解出来てない人もいて、深み無く伝わったりもしたのだろうけど、残る言葉の最も凄いポイントは、浅くとも深くとも理解出来るというところにある。

浅い者も深い者も、同じ言葉で共感出来る。
ただ、その事で苦労もある。
浅い者も深い者も理解が同じ様に外見からは見え、誤解を招く事は珍しくない。
そこにフェイクが存在する。

とは言え大事な事は、深さの違いなどの様に人と比べる事にあらず。

二つの言葉が伝える様に、全ては自分自信の内面に存在している。
自分に向き合い自分として向上する事が大事で、自分が完全にアホでなくなった時、自分の周りでもアホが存在しなくなるし、自分の嫌なところが完全に存在しなくなった瞬間、自分の周りには嫌な人がいなくなる。

「人のふり見て我がふり直せ」
「アホって言った者がアホなんです」
この二つの言葉は、その事を示唆している。



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  by ecru-societe | 2018-11-28 22:12 | 日記 | Trackback | Comments(0)

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