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アイ

喜怒哀楽はアイの反応だって思う。
喜や怒や哀や楽を感じてること自体が、そこにアイが存在している証拠。

アイは気持ち
アイは想い
アイは感情
アイはエネルギーやベクトルみたいなもの

だから幸せも不幸もアイがあればこそ感じられることで、
アイの無い状態は無関心な状態で、何も感じない。

アイのある状態でありたい。
で、できれば喜びや楽しさをたくさん共感したいなぁ~。
ちょっとだけでいいや、、、怒りや哀しみは。

とは言え、アイしていれば、それらはセットで付いてきちゃうから、現状の状況や感情とかを解りやすく伝えあって、どうすればよりたくさんの喜びや楽しさを共感し合えるのかを相談しないとね。



  by ecru-societe | 2010-12-03 10:23 | 日記 | Trackback | Comments(0)

シリーズ うちの長男

長男は先日始めたメールに夢中。
パソコンを占領されがちです。

長男の横には次男。
長男のやり取りをずっと覗き込んで、興味深く見ています(笑)。
そんな中、長男はいやな顔せず、黙々とメールを打ち続けています。

メールを始めてから長男や次男とコミュニケーションの話をします。
メールを始めるに際し、約束した「メールで悪口を書かない」ってことについて、今日も話をしました。

悪口を言っているメールの返信に、同意を表現したり、反対の意を表していない事実上の同意の場合は、それは悪口を言ったことに他ならない。
では、第3者の悪口を書いてきたメールに対して、どのように切り返せばいいのか?
今日はそのことを長男達と考え話し合いました。

長男がメールを始めて、結構話題になり勉強になります(笑)。

  by ecru-societe | 2010-04-29 00:00 | 家族・地域 | Trackback | Comments(0)

こころ と ことば

言葉では本当のところは伝わらないと感じるのは、気持ちは一色で表現できないけど、言葉はデジタルに感情を分類して発信してしまう時もあるから。
特に、ブログのような文字のみのコミュニケーションの場合、面と向かって話すより情報量が格段に少なく、伝えやすいものと逆に伝わりにくいものがある。
そして誤解も生じやすい。

会って話をしたとしても、言葉は気持ちと違っても音になるし、たくさんの気持ちが複雑に入り組んだ状態で発信された言葉の、どの音色をピックアップするのかは、聞き手によっても変わるし、立場によっても変わる。

心を表現できる方法は、言葉の他にもっと適したものがあるのかも知れない。
言葉が拙いわたしには、心を完璧に言葉では表現しにくいと感じる時がある。



心ってなんだろう?
言葉ってなんだろう?

自分が思うように伝わらない時。
でも、もしかしたら誤解じゃなく、わたしの心の中に微量でもそう理解される心が住んでいたんじゃないか?

そんな風に考える。

自分でも、気付かない自分の心。
潜在化した心が言葉に乗って伝わる。
それはきっと誤解ではない。



何で心を伝えよう?

  by ecru-societe | 2010-02-22 02:22 | 日記 | Trackback | Comments(0)

伝えること

「伝える」ってことの難しさは、歴史が繰り返されているところからも証明されている。

どれだけ深く人間を理解し、歴史を調べ上げ、書物にして多くの方々にその見識などを広げる状況を確保したとしても、そして多くの方々がその書物を読み、心を打たれたとしても、それでも歴史は繰り返される。

だとしたら「伝える」ことの意味があるのか?
そんな風に心が折れそうになるときもある。

だけど、それでも再び共感を求めて伝えることを繰り返す。



理解は自分を超えてはできない。
そこが伝えることの難しさである。

例えばチョコレートの味を、それだけリアルな表現が出来たとしても、食べたことのない人には中々リアルに伝わらないのと一緒で、表現の旨さが受信の旨さに一致しないとニアな位置にたどり着くことが難しい。(あっ! チョコレートが食べたくなってきた:笑)



昔、友人に「期待をしたらアカン。信じたらアカン。」と言われたことがある。

当時、ブログにも「信」をテーマに書いていたこともあり、わたしが抜けられる迷路に迷っていると感じ友人が、見かねてそう言ったのだと思う。

言葉にすると一見かなり御幣のある表現に見える。
言われた当時は、自分が感じている「信」の意味を友人に伝えた。
友人は理解を示してくれ、「期待をしたらアカン。信じたらアカン。」の意味をそれ以上掘下げることはなかった。
だから、自分の中でよりその言葉の響きが心に残ったように感じる。

そして、今、彼が言おうとしたことの真意が理解できる気がする。
今、彼が表現したニュアンスをわたしも感じる。
なるほどと思う。



「伝える」と言うことには2方向の矛盾したベクトルがある。

「伝える」のだから理解されなきゃ意味が無い。
だから相手を理解し、相手に合わせた表現を模索するベクトル。

「伝える」内容は自分の感じていることや考えなどだから、自分を見つめるベクトル。

相手に合わせた表現を模索すればするほど、自分の言葉からは遠くなってしまったりもする。
自分らしい表現だけを探求すれば、目的を達成できないこともある。
その間でずっと揺れ動いてきたと感じる。



「ART」のすごさは自分らしい表現のみを探求しているところにあると思う。
誰からどう思われるなど2人称以上の対象がなく、自分の内面だけを見つめるベクトルにあるのだと思う。

理解されようとしていない純真さ無垢さが、大きく人を動かす。 時代を超える。

「DESIGN」は双方向性が重要なファクターである。
つまり誰かに理解されるや誰かに感じてもらうということが目的にある。
だから相手を思いやる。
そして伝える。

わたしはデザインの中にいるから、相手を思いやる。
愛する。 信じる。 いや、、、愛そうとする。 信じようとする。

友人は「ART」の力をわたしに教えてくれたのじゃないかと思う。



時間軸の違いもベクトルの違いもありはするがそれらは「表現」である。
「表現」とは「伝える」ということでもある。
そこに期待や信頼があるかないかはあったとしても、、、

どちらが正しいというわけでも、どちらが崇高というわけでもない。
むしろどちらにも可能性があり、どちらも大切な表現方法だと思う。

ただ、友人のその言葉は、わたしの「伝える」という成果に大きく影響させてくれたと感じる。
ありがとう!



「伝える」ことは難しい。
でも、伝わる瞬間は、これほど幸せな瞬間はない。
これほど感動する瞬間はない。

  by ecru-societe | 2009-12-12 00:10 | 日記 | Trackback | Comments(0)

表現と共感

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もしかしたらこの宇宙の中で、僕らが理解できることなんかはすごく少ないのかもしれない。
だから理論的に説明がつくことよりも、説明がつかないが感じることの方が真理に近いところにあるのかも知れない。

でも、僕らは様々な表現方法で、その宇宙の真理のようなものを共通認識(共感)にするために表現(説明)しているのだと思う。

ある人はそれを数値化して公式化することで、多くの人との共通認識(共感)を得ようとし、ある人はペンに想いを込め書物にすることで、多くの人との共通認識を得ようとする。
筆を握ってキャンパスに向かい、今感じている真理を発信する人もいる。
時には全てを破壊するという表現を選択する人も・・・。

どの表現方法が正しいとか間違っているとかってことではない。
むしろどれもその人達が感じた事実だとすると、それは事実だし、それが全てではないけど一部ではあり、どれも表現ではある。

いずれにしてもそれらは、自発的かそうでないかに関わらず、結果的に自分達が知りえた真理を自分以外の人と共感など(時には反感)を得ることにつながっていると感じる。

なぜなら、共感は幸せだからだ。
共感こそが幸せだからだ。

僕らは自分達が多くの人と一緒に幸せになれる方法を模索し続けている。

  by ecru-societe | 2009-12-05 02:35 | 日記 | Trackback | Comments(0)

デザイン

先日、協力会社さんが業界内の動向から考える今後の方向性や協力体制についてプレゼンテーションをしにエクリュへ来てくれた。

国土交通省のデーターなどからお客様のニーズを探り、その結果からお客様への必要なサービスを導き出し、協力会社さんとしてどのような協力体制の準備が出来ているか?というストーリーで話してくれました。

その協力会社さんは、ほぼ毎月、このようにご自分でテーマを決められ、そのことについての社内体制や協力体制、対応などをお話いただけ、とても勉強になりありがたく思っています。



今回のテーマは「視覚情報サービス」というテーマだったように思います。

お客様との共通認識を高めるのに必要な情報は視覚的な情報で、それに対してご協力いただける内容などをお話されました。

そこで使われる言葉に「デザイン」という言葉が何度も出てきました。

「個性的なデザイン」による差別化や「内覧会などでデザインを見ていただく」など「デザイン」と言う言葉が出てきました。



どの業界もそうなのかも知れませんが、、、本当に皆さんはデザインの力を信じていますか?

今回の協力会社さんのお話をお聞きしていて、いたく感動したのは、生き残りや差別化などをかける方法がデザインだという論法でした。

ただ、感動は、デザインを本来の意味で理解した場合にのみ生まれるのもので、デザインを化粧か鍍金か、そんな方向性で捉えて言ってるのなら、、、だから差別化にたどり着かないのでは?と思うのでした。



わたし達はデザインに囲まれて生きています。
デザインに触れない日はありません。

もちろんその質は色々ですが、デザインに触れないではいられません。


例えば新聞のテレビ欄を見る時。
必要最小限の文字数(情報量)で、その番組の特徴などを多くの人に出来るだけ正確に伝えることが考えられています。

これはデザインです。


新聞のテレビ欄で見つけ興味を持った番組をテレビで見る時。
電源を入れ、チャンネルを変える作業をリモコンで行う時、操作を考えずに感覚的に行えている。

それがデザインです。


番組の中でのカメラのアングルや編集の仕方、BGMなど全てがデザインです。


解りやすく端的に伝える新聞のテレビ欄。
何が受信者が解りやすいかを理解できていないと表現できないものです。

リモコンの操作性。
多くの人の動作や感覚を理解して形にしたものです。

番組の製作者が感じていること、視聴者が感じること。
それを一致させていくための様々な表現。

これらは全て相手を理解する必要があります。



デザインがアートと大きく違うところ。
それは相手を意識し理解して始まるところです。

デザイン概論という学問の中で、デザインを定義する上での3要素があります。
「ニーズ」「機能」「美」
この3つの要素を持っていないとデザインとは言わないと学校で習いました。

ニーズとは自ら湧き上がる想いではなく、クライアントやエンドユーザーや自分以外の方々の中にある想いです。



デザインは相手を思う気持ちで出来ているんです。



「デザインで差別化を図る」って言葉の意味が、「見た目の派手さで差別化を図る」って意味ではなく「お客様を想い、理解することで差別化を図る」という本来の意味なら、家をデザインするってことは大きな幸せを生む可能性があって、本来のデザインをする家が増えることで人々が本来の豊かさを得、心が通い合う世の中になっていくのではないかと僕は本気で考えています。

デザインが人々を救う。

もちろん人を幸せにするのはデザインだけではありません。
アートの素晴らしさも芸大へ行ってたので当然に感じています。

アートの素晴らしさは、長くなるのでまた後日お話しするとして・・・

デザインはCO2を沢山発生させずして、多くの人に気持ちを伝えることが出来るコミュニケーションのファクターのひとつだと思います。
そして相手を思うコミュニケーションのその先には、幸せな気持ちが広がっていくのだと信じています。



これが本来のデザインです。

  by ecru-societe | 2009-11-28 17:58 | 日記 | Trackback | Comments(0)

感覚的である。
理性的である。

柔軟に順応する。
頑なに貫く。

どんな表現でもいい。

ただ、伝えること、伝わることは難しい。

  by ecru-societe | 2009-11-03 22:05 | 日記 | Trackback | Comments(0)

メッセージの発信とその結果

いつも考えている堂々巡りのコトとは、メッセージの発信とその結果(受信)について。

エクリュのHPが先日リニューアルされた。
まだまだ未完で、メッセンジャー側の込めた温度の低さを指摘されても仕方の無い状況だが・・・

友人や後輩やいろんな方からご意見をいただいている。
ありがたいことだ。
この場を借りて感謝の意をお伝えしたいと思う。
ありがとうございます!

いただいた意見には色々あった。
絶賛されたり、指摘事項が挙げられてたり。
どれもありがたいご意見だが、いつも考えている堂々巡りがまた繰り返される。

同じものを目にしても、その人の立場や人柄や様々な能力やオリジナリティーや、、、
そんなものによって受け方が十人十色である。

受けて側をいくらちっぽけな自分の経験で想定しても、想定できる範囲の人たちですら受け方に一定性は見られない。
一定性があるとしたら、それはわたしに対する「愛」ぐらいだ(笑)。

だから、メッセージの発信の仕方を考えれば、どう受けられるのかでは無く、先ずは自分が表現できたのか?
そのことがとても重要となると感じる。

だが、いつも立ち返る。
メッセージは何の為に発信したか?
それは伝えたい人に伝わる為。

表現とは、、、一体何なんだろう?

伝わるとは、、、一体何なんだろう?

先日の『ブルータスのデッサン』でも書いたように、結局、「熱意とか温度みたいなもの」が伝えられるカタチ(メッセージ)を発信できるように日々精進を重ねることが『表現』であり、「何かよう解らんけど感動した!」ってことが伝わるってことなんだろう。





Écru Société
株式会社 エクリュ
918-8116
福井県福井市大町2-110-205
TEL.0776-36-9001
FAX.0776-36-9025
E-mail : info@ecru-arc.co.jp
Web-site : http://www.ecru-arc.co.jp/

  by ecru-societe | 2009-10-07 09:41 | 日記 | Trackback | Comments(0)

ブルータスのデッサン

ブルータスの石膏像をデッサンする時、胸のボリューム感を正確に認識するのが結構難しい。

デッサン(絵)を見る時、そんなに絵の知識が無くてもおおまかにどの絵が旨いか(リアルか)ぐらいは、誰にでも分かる。

でもそれは石膏のブルータスというだけの認識の範囲なんじゃないだろうか?と思った。
つまり、そのブルータスにあたっている光は、夏の早朝の光だとか、そのブルータスが置かれている空間は緊張感がある凛とした空間だとか、ブルータス像の周りの空気感のようなものまでは、絵の知識や絵を捉える感覚が拙いほど感じ取れないのではないか?と思った。

メッセージは受信した人の知識や見識や感性などに影響して、情報が変化する。
ブルータスの石膏であることぐらいは発信者と受信者の間で共通認識と出来るが、その他の部分は受信者によって情報が変化してしまう。

ただ、そのデッサンに込めたメッセージとそれを表現する力、言い換えると温度のようなものは、理解と言う部分を越えて感じ取れるものだと思う。

結局、その熱意とか温度みたいなものが伝わるのだと思う。

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  by ecru-societe | 2009-10-05 23:34 | 日記 | Trackback | Comments(0)

コミュニケーション

『静物画を描く(静物をデッザインする)』と言うのは、大きく2つの能力が必要なのかもしれない。

ひとつは目の前のモノを正確に受信する能力。
もうひとつは受信したモノを表現する能力。

『インプット』と『アウトプット』。

この二つが正確でないとメッセージ(絵)に誤解も生じる。



『インプット』
インプットをする際、最も大きな障害になるのは思い込みや先入観のようなもの。

例えばリンゴの水平断面は丸い(リンゴは球体である)という思い込みが、リアルなリンゴを受信するのに抵抗になる。
実はリンゴの水平断面は決して丸くは(円では)無い。

例えばリンゴは赤いという思い込み。
実はリンゴは色んな色をしている。



『アウトプット』
アウトプットをする際、最も大きな障害になるのは持てる表現能力。
受信した情報を正確に表現できるかどうかだ。

これには訓練がいる。

正確に表現できるまで、色々な方法を試し、右往左往しながら我慢強く自分らしい表現方法を見つけていくしか他にない。



このことは言葉によるコミュニケーションにも言えると感じる。

描写がうまい人の絵は、絵画を見る能力が低い人(絵の知識が拙い人)にでも確実に「うまい」と認識される。
言葉によるコミュニケーションでも、コミュニケーション能力が低い人にでも正確に伝わる方法があるはず。

「なぜ解らないんだ! ちゃんと人の話を聞いてないだろう!!」
まだまだ人として拙いわたしは、反射的にはそう思ってしまうことは事実だが、人のせいにするより自分の表現の拙い部分をいつも探して改善しているのも事実だ。

しかし、、、最も大事なことほど伝わりにくいものだ。。。

  by ecru-societe | 2009-09-27 22:33 | 日記 | Trackback | Comments(0)

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