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「自立」

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先日から、長女と話そうと考えていた「自立」の意味。
今日観た映画に表現されていました。

早速、長女に連絡。
「こんな夜更けにバナナかよ」
観た事ある?無かったら是非観てみて!

「自立」とは、何でも自分で出来る様になる事にあらず。
そんな事、不可能。
「自立」とは、己を知る事にある。



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  by ecru-societe | 2019-08-16 23:29 | 日記 | Trackback | Comments(0)

自立した素敵な面々

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多くの方々のご理解・ご支援をいただき、おかげさまで、先日、結婚記念日を迎える事が出来ました。

ありがとうございます。

今日、書かせていただくのは、それと関係がある様な、無い様な話。
先月まで開催していた絵画展中に、画家の先生とキュレーターさんと話をしていた時の話です。

絵画展と言ってもひっきりなしにお客様がお越しになる訳では無く、空いている時間は色んな話をしました。

僕にとってはその時間がとても楽しく貴重な時間で、絵画作品の意図などの解釈を深めたり、またその逆で悩んだりと意味深い時間でした。

その日は、ひょんな事から夫婦の話になりました。

その会話の中でとても大好きなやり取りをご紹介します。

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色んな夫婦の話をしたその流れからキュレーターさんが言いました。

「それにしても画家先生の奥さまは、先生の事をとても大切に考えているよ」

その言葉に何の迷いも無く画家先生が答えました。

『当たり前じゃん』

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僕もこの会話。
めっちゃ当たり前だと思いました。
でも、巷でよく聞く会話とは、全く違う流れだとも思いました。

僕が巷でよく聞くと感じている会話は以下です。

「それにしても画家先生の奥さまは、先生の事をとても大切に考えているよ」

『いやいや、そんな事無いよ?』
『昨日だって家内が言うには・・・』

こんな感じです。

それが、一寸の迷いの無く『当たり前じゃん』との当たり前の返しに、素敵な面々が集まって素敵な会話を繰り広げている事が嬉しく思いました。

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先日は長女と「自立」について話しました。
長女が言うには、自立とは、最低限の事は自分で自分の事をする様になる事だそうです。
確かに!
自立とはそう言う事かも知れません。

ただ僕が感じる自立とは、また別の解釈があります。

あの日の会話がとても素敵だったのは、自立した人達が話をされていたからです。

つまり僕が考える自立とは

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「己れを知る」って事だと思うのです。

「汝自身を知れ」

全てを知り尽くす事は不可能。
知識には限界がある。
だから自分が出来る事にも限界がある。
だから人が集まって、欠けている部分を埋め合って満たそうとしている。
その事を自覚して出来るのは、自分を知ってからの事。

自立とは、他人に頼らないと言う意味では無く、自分の出来る事・出来ない事を知る事ではないか?と思うのです。

そう言う意味で、あの日の会話は、それぞれの方々(先生たち)が、立場や役割やアイデンティティなど、自身を見つめ続けて来られた先生たちが、その見地からの言葉で出来た会話なので、当たり前に素敵な会話になったのだと僕は思うのです。

自立とは、自身を知ろうと見つめ続けている事ではないか?と僕は思います。



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  by ecru-societe | 2019-08-12 00:02 | 日記 | Trackback | Comments(0)

手伝う人

本当の事をありのままで発言すると、自分の社会をコンパクトにする。
逆を言うと、コンパクトに生きていると本当の事を言える。
グローバルに生きようとする人は、本当の事をありのままには発言しづらい。
(多分、麻生太郎氏の思っている事って、余計で不確実な事を言ってしまった。。。)

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「手伝う」

この言葉に対して、あなたならどんな印象を得るだろう?
少なくとも悪いイメージは持たないのでは?

僕には、どうも不要な言葉に思える。

どう言う意味か?

その前に、50/50(フィフティ・フィフティ)で無い関係は、持続性が低いと思うし、ある意味では、どこまでいっても50/50なのかも知れないと思う。
だから、「手伝う」と言って近付いて来る人は、僕には理解し難い存在だ。

「手伝ってくれてありがとう!」って言葉はあっても、大人が「手伝ってあげる」と口にするのは、、、僕には何か大きな欠落や幼稚さを感じずにはいられない。。。

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「手伝う」

自らの考えや行動に、責任を負って生きている人が、「手伝う」と言うだろうか?「任せて」と言うのでは無いだろうか?
「手伝う」とは、責任を負いたく無い人が、責任から逃れる為の言葉だと思う。

とは言え、、、
僕は未だ、自分の事で精一杯で未熟だから、そうでは無い段階の人達の辞書には「手伝う」という言葉の意味が載っているのかも知れない。

今の僕には、「手伝う」という言葉は不要だ!



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  by ecru-societe | 2019-03-05 23:25 | 日記 | Trackback | Comments(0)

キセキ。

第三回プラチナブロガーコンテストを開催!
「自由部門に応募します」

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僕は、2005年からブログを書いて来ました。
2006年からはココでエクコミュVol03としてブログを書き出しました。

今日、昔のこの日(11/25)の記事を読み返すと、次男が僕と寝たいと言った夜の事が書いてあり、時間の経過に切なさを感じながら読み返しました。

決して戻っては来ない時間を、その時あった事や感じた事をココに残してきた事を感じ、思わず、京都で一人暮らしをしている次男に、先程ラインで連絡しました。

「今度、会わないか?」と。

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人は家族であれ親子であれ、ひとりきり。
一緒にいる時間は、刹那でキセキです。

一瞬一瞬がかけがえのない大切な時間だと気付かせてくれるのも、その一瞬一瞬をブログというカタチに残してきたから感じられるのかも知れません。

色々考えたり悩んだりしながらブログとして残して来ましたが、その事で「仕合わせ」の意味を感じられています。

  by ecru-societe | 2018-11-25 23:34 | 日記 | Trackback | Comments(0)

暮れなずむ町の光と影の中。

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もし誰かの事を、(あまり好きな言葉じゃ無いけど)信じていたとして・・・

その信じていた誰かが、例えば倫理的では無い信じ難い行動をした時。
あなたはどんな風に考えて行動するか?

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信じられぬと嘆くよりも 人を信じて傷付く方がいい ♪

一聴すると清く正しく美しい様に思えるかも知れない。
でも僕は、そうとも思えない点もある。

それがどこか?
一般的な「信じる」が、あまり好きな言葉では無い理由。
そのポイントにある。

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あまり好きな言葉では無い理由・・・

そもそも、一般的に「信じる」なんて、自分にとって都合の良いレンジ(間)に使う言葉。もしくは抑止力を有効にする為に発している言葉。

もし「信じる」を、本来の意味で使えたとしたら、「贈る言葉」の歌詞のような事にはなり得ない。

どういう事か?

「傷付く方がいい」という歌詞について

傷付く可能性を想定している時点で、単に自分にとって都合の良い状況を相手に期待していたに過ぎない事が明白だ。

信じている誰かが、例えば倫理的では無い信じ難い言動をとった時。
「信じられない!」と嘆いたり傷付いたりしているのは、渦中の信じている誰かの立場を考える訳では無く、自分にとって都合の悪い雰囲気に、自分が良ければいい言動をとった結果。つまり、自分にとって都合の良い状況を相手に期待していたに過ぎない事が解る。
(視点が自分に有り、相手の立場に立てていない点)

「自分が良ければいい」
その事自体は全く悪くない。
むしろ当然の事。それでいい。
でも問題は、「自分が良ければいい」そう思っている事を突き付けられた時、反発したり自覚が出来ていないその状態にある。

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「信じる」の本来の意味を理解した時。
信じている誰かが、例えば倫理的では無い信じ難い行動をとった結果に対して。
自らがとる行動は大きく違って来る。

先ず・・・

「きっと自分の知り得ない意味が存在するのだろう」
とか
「何か大変な事に巻き込まれてはいないか?」
とか

自分の信じる誰かを当然に「正」とした視点からの言動となるはず。

「信じられない」
とか
「傷付いた」
とかは
自分の都合が悪くなったという意味に他ならない。

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「自分が良ければいい」
それはいい。
でも自身がそうしている事を知る必要はある。

相手の目線に成れない。
眼球は自分についている。
そう知る事も必要だ。

「信じる」
基本的に自分以外の人に使わない方がいいと感じる。
もし使うなら、意味を深める必要がある。



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  by ecru-societe | 2018-08-14 17:58 | 日記 | Trackback | Comments(0)

鵜呑み。

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自分以外の誰かと一緒にいる為に・・・

誰かの考えを「解る」とか、誰かの想いに「気付く」とか・・・その事には大して意味が無いと言うか・・・むしろ解りようが無いと考える。

「理解とはおおむね願望に基づくモノ」との見解は、僕も全く同じように考える。
本来の理解などしない。
単に自分の願望にカラチをはめ込んで都合に合わせているだけだ。

だとしたら、人が一緒に存在する為に何が必要か?

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相手を「信じる」とかって言葉にも違和感を覚える。
ベクトルを持つ言葉は、逆の意味や要素が存在しているからだ。

「信じる」と意識しているのは、「信じられない」状況が存在し得るから、そこから離脱を図って発している言語。
だから、違和感を覚える。

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最もしっくりくる言葉は、「鵜呑み」だ。

人が一緒に存在する為に必要な事。
一緒にいようと決めたのなら、必要な事、それは「鵜呑み」だと感じる。

本来の意味での理解が出来るなら、それに越した事は無い。
しかし本来の意味での理解など存在しない。
そもそも、全て理解が出来るなら、一緒にいる意味すら存在するのかが疑問だ。

何故なら、一緒にいる意味は違いにあると考えている。
違いとは、視力(遠視・近視)や立場や方向性など視野によって生まれている部分も大きく存在している。

本来の理解をするには、自分の視界を放棄して相手の視界を眺めると言う意味にも思える。
もしそうだとしたら、二人いる事で減らしていた死角を、二人いるのに広げる事になる。

だから、全て本来の意味での理解をした場合、一緒にいる意味が無くなってしまうと考える。

むしろ「理解とはおおむね願望に基づくモノ」で良いのだ!

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だから「鵜呑み」だ。
自分に見えない景色は、相棒に任せて、相棒が発する情報は、自分に見える訳が無いのだから「鵜呑み」にするという訳だ。

これで一人では無く、二人でいる意味があるのだと考える。

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「(本来の)理解」は不要。
「信じる」はウソ臭い。

必要なのは相互に行う「鵜呑み」だ!

PS
元也。
誕生日おめでとう!!



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  by ecru-societe | 2018-07-22 23:06 | 日記 | Trackback | Comments(0)

生きていく力。

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僕は思う。
人を含めあらゆる生物は、生まれながらにして生きてゆける力が既に備わっているのだと。
ただ、その力が発揮出来るには、生まれながらにして備わっている事を充分に理解して、行動する必要がある。

ヒントは、天才バカボンのパパのセリフにある。
「バカの反対の反対は、天才なのだ!」

自分を知り、自分を受け入れ、自分であり続けさえすれば、これでいいのだ。

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でも、自分を知る為の行動をとっている人が少ないと感じる。
自分を知って、その力を発揮されてしまうと、社会が成り立ち難くなる為、見えない制限をかけられ、その中(マトリックス)に存在している事もその要因のひとつだと感じるが、主要因は本人が気付こうとせず流されているからだ。
表面上のカタチに目を奪われて、本質を知ろうとしていないとも表現出来るのかも知れない。
まさにマトリックス。

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例えば、気付こうとしていない行動パターンの例としては・・・

「比較」というものさしは、他人が他人の優劣をつける為のモノであって、決して自分が自分を評価する為に用いられないモノ。
だが、槇原敬之氏があんなに訴えかけても、「比較」に目を奪われ、自分に焦点を当てようとしていない。

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ライバルがいるとしたら、それは自分なのに。
ライバルも必要なのかどうなのか?
元々特別な ONLY ONE.
むしろそれを起動させよ!
眼球を裏返せ!
そんな風におもう

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  by ecru-societe | 2018-05-16 07:35 | 日記 | Trackback | Comments(0)

自信とは

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「磨き上げられたたぬき」の特徴には、空虚な自信があると言う(新動物占いより)。

「自信を持つ」
「自信をつける」

自信って言葉に、僕は違和感を覚える。
「自信がある」って言うことは、自信の無さを振り切ると聞こえたりもするからだ。

自信とは、持ったり付けたりするもんじゃ無いと思う。
ましてや有ると自覚するものでも無いと感じる。

自信は存在しない。
只々、受け入れるって事だと思う。
もちろん、何も行動を起こさないで現象を受け入れると言うこととは違う。
自分の出来ることを只々粛々と続けて、その先に起こってくる出来事を受け入れる。
そうした態度が、他の人から観た時に、自信を持っているように映るっているに過ぎない。

自信など、自覚していた時は大抵おかしな状況だと思う。
ちょうど恋しているような感じ。
クレイジーな状態の場合が多いと感じる。

「自信」とは、努力し結果は受け入れるといった状態を、他人が観た時の感想で、決して文字の通りのような自発的なものでは無く、受動態的言語なんだと思う。



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  by ecru-societe | 2017-10-29 00:47 | 日記 | Trackback | Comments(0)

言葉にならない想いも。

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先日、祖母の95回目の誕生日のお祝いに、妻の実家がある奈良県にとんぼ返りで行って来ました。

今年はおかげさまで忙しくさせていただき、お盆休みが取れず、お盆・お彼岸とも帰郷できずにいました。
しかし、祖母の95回目の誕生日には、何とか帰らないと・・・じゃなきゃ、いつ帰るの?!
今でしょ!ということで、とんぼ返りではありましたが帰郷してきました。

お盆も、それから今日までも、帰らなきゃいけないと思いつつも、休みが中々取れず今日まで至っていました。
気になりながらも実家にはLINEで連絡するぐらいで、近くに住んでいる姉に頼りっきりでした。


「想っているから・・・」
そんな言葉に甘えて想いをカタチに出来ないでいたのですが・・・。
想っているからそれで良いと考えるのは、それは違うと思うのです。
想いはカタチにして、(伝わるタイミングはいつでも良いにしろ)相手に伝わってこそ、意味があって、想っているだけでは(可哀そうな良い方になりますが)想っていないのとほぼ同等なんだと思うんです。
だからカタチにしないといけないと思うのです。


とは言え、たいそうなことは出来ませんが、とりあえず日頃、祖母への想いや、両親への想いなどカタチにするべく、先日実家に帰郷してきました。

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しかし、想いをカタチにすることはとても難しいとも思います。


そもそも想いを言葉にすると、「ありがとう」とか「お世話になってます」とか、あまりに普通で、代り映えしない言葉になりがちです。
でもきっと、その言葉は、どれ一つとして同じ意味は存在しないはず。
そんな唯一無二の気持ち。 あなたならどんな風に伝えますか?
やっぱり「いつも、ありがとう!」って言葉に想いを込めますか?
それとも感謝していることを沢山ならべて「〇〇してくれてありがとう!」「△△してくれてありがとう!」「□□してくれてありがとう!」って伝えますか?
でもやっぱり何か伝えきれるかどうか・・・モヤモヤしたものがどうしても残ります。

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それって住まいづくりと似ているって思うんです。
言葉だけでは、どうもうまく伝えきれない・・・でも、何となく胸の内にある雰囲気・・・。
もしくは、自分たちにとってどんな住まいがピッタリくるのかもわからない。
わからなくとも、必ずピッタリくるお住まいは存在するだろうし、きっとピッタリとくるものに出会えたら、「これだ!」ってわかるはずです。
そんな伝えきれない想いって、どうすればカタチになると思いますか?


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弊社では、「言葉にならない想いも。」をスローガンに、【3つの手法】でそんな想いを掘り起こして「本当だ!私たちはこれが欲しかったんだ!」って気付いていただき、カタチにしていく仕組みを持っています。
いったい【3つの手法】ってどんなものなのか?
一度、お話を聞きに来られませんか?(要予約)

お問い合わせは以下から出来ます。
http://www.ecru-arc.co.jp/contact/


資料請求は以下から出来ます。
http://www.ecru-arc.co.jp/request/


また、電話番号は
0776-36-9001
(平日:AM9:00~PM6:00)


皆様のご連絡を、心よりお待ちしております。


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  by ecru-societe | 2017-10-03 14:15 | Écru Société | Trackback | Comments(0)

間違いのない選択とは?

百八つあると言われる煩悩を、全て払拭した状態での直感は、きっと間違いの無い選択なんだと感じる。

学問や知識は、その選択の意味を理解したり裏付ける為なのではないかと思う。

選択はいつも自分を表現したモノ。

「そんなの、聞いてないよ!」
「教えられていない!」
とか言って、自分の選択の結果がイメージと違う事を人のせいにしたところで、本当は最も自分自身を表現している。

無知も、そのクセ自身の力以上に得をしたいと思う欲深な気持ちも、人のせいにして自分で責任を負わない無責任さも、選択にはちゃんと反映されている。

選択は自分自身だ!

だから間違った選択などそもそも何処にも存在しない。
とは言え後悔の無い選択をと考えるなら、方法は3つある。

1つ目は抜け目の無い知識を身につけることだ。
知識はある意味では効果が見えやすい、つまりは身につきやすい力。

2つ目は煩悩を全て払拭し、感覚を研ぎ澄ませること。
曇りなき心で感じる直感は、これ以上正しい選択はない。

3つ目は、その両方を得ること。
一見、根拠が無いように思える自分の感覚を信じきることができるのは、もしかすると難しいと感じる人もいるかも知れない。
また、煩悩を全てを消し去ることも、とても困難なこと。
そこで知識をつけることで感じた直感の裏付けとなったり、バックアップになり得たりするだろう。

選択は自分自身。

間違いのない選択とは、間違いのない自分自身に成長するしか、他にない。

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  by ecru-societe | 2017-08-20 18:27 | 日記 | Trackback | Comments(0)

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