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EVS(05:本当のローコストとは?)

いつもEVSをご覧いただき、ありがとうございます。
突然ですが、ローコスト住宅って、どんなイメージですか?
今回は、本当の意味でのローコスト住宅を建てる為のヒントがお伝え出来ればと考えています。
では、お付き合いの程、よろしくお願い致します。




www.ecru-arc.co.jp/



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  by ecru-societe | 2020-01-27 23:08 | Écru Société | Trackback | Comments(0)

エクリュ・ビデオ・セミナー03(家を買う理由)

家を建てる時、どうして家を建てようと思ったのか?
その理由がとても重要です。
今回は、「家を買う理由」についてお話ししてます。

また、本ビデオの途中で、「エクリュ・ビデオ・セミナー02」をご紹介しています。 そのURLは以下です。
https://www.ecru-arc.co.jp/blog/EVS(お金の話)
https://youtu.be/eu7x-dbLkOI





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  by ecru-societe | 2020-01-17 10:26 | Écru Société | Trackback | Comments(0)

ストーリー

「正直者が馬鹿を見る」
それはそれで否定しきれないと感じたりもするが、今のところ、僕の結果は、「正直者は馬鹿を見ず、結果に結び付く」となっている。
もちろん、皆さんのおかげがあっての事で、正直だったからとかでは無く、偶然と言うか、神様のおかげと言うか、幸運や人に恵まれている。

それなのに、先日、先輩から「毎日ちゃんと生きている人は、ずっとちゃんと生きていけるよ!」って言われた時、不条理な世の中でそうとも言いきれないのでは?と感じたのはどうしてだろう?

もちろん、結果が出なくても不条理が続いても、僕は正直に歩んで行くのは行くのだが、それは報われたいと思っての発想ではなく、あざとく生きて行く大変さを選択するより、正直に生きて行く大変さを選択したいと思うからだ。

確かに、複雑な日々に直面すると、あの日あの時(高校生の時)、もっとうまくもっと深く出来れば、そのタイミングで一緒にいる事が出来たのではないか?と脳裏をよぎる日もある。
でも、全て必要な出来事が起こっただけで、(一緒にいるのは)今だったと考え直したりもする。
だとすると、正直者は馬鹿を見ないと言う事になる。
先輩の言う通りだ。

正直者があざとい者に馬鹿にされようと、そうで無かろうと、いずれにせよ、僕は正直に精進する。
今日に至るあの日の様に、ある日、僕の力を必要としてくれる誰かが目の前に現れた時、ちゃんと力を発揮出来る様に、もっとうまくもっと深く対応出来る様に精進する。

決してあざとい者に影響されない。
自分のペースを崩さない。
そうあろうと、これからも精進する。

https://youtu.be/yx97ODQcDd0



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  by ecru-societe | 2020-01-15 23:54 | 日記 | Trackback | Comments(0)

ECRU ビデオ・セミナー(お金の話)



家を建てようと思った時に考える「予算」
皆さんはどのように決めていますか?
今回は、そういった「お金の話」をします。

https://www.ecru-arc.co.jp/



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  by ecru-societe | 2020-01-08 11:47 | Écru Société | Trackback | Comments(0)

歴史

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伝え聞く歴史(物語り)や、時には事実でさえ
当時の権力者などによって
書き換えられたり曲げられる。

だから、どんな時もそうだが、特に歴史を観る時は、鳥瞰的な見方から考えていく必要がある。

鳥瞰的である事。
出来るだけ高くから(多角から)広く眺める事。

どこまで高い位置から眺める事が出来るのかは、観る人の力による。
力とは、出来るだけ正確な情報を出来るだけ多く得る事。
他に、物理を知る。深く人を感じる。などなど様々なモノが力となり得る。

しかし幾ら力を望んでも、自分を超えて、観る事も感じる事も出来ない。
自分が触れている世界は、自分でしかないのだ。

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コレもどんな事にも言える事だが、歴史上の事実においても、そもそも良いも悪いもない。
あるのは必要な事。

全ての事は、今につながる為に必要な事だっただけで、もしある事実に評価が存在するのなら、それは時の権力者の都合。
もしくは、自分自身の価値観や好みによるもので、ある事実には、良いも悪いもない。

だいたい、他人の事をとやかく評価するのは、良識のある者のすることでは無く、自分の事が自分で評価できる様に生きて行きさえすれば良い。

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自分だけの正義を振るい、自分勝手に生きれば良いと言っている訳ではない。
自分に正義がある以上、他人にも正義がある事は、当然の事で、それを知らないのは良識のある人間とは言い難い。

ただ、自分を評価できないのでは、折角いただいた人生の意味が理解し難くなる。

そもそも世間などは、右に左に寄せては返す波のようで、あっさり評価を覆すもの。
浮世とは、そういうニュアンスを表現した言葉に思える。
だから、プロパガンダに影響される必要性は無く、事実だけを曇りなき眼で見定める、その眼を持っていれば良い。
その眼は、自分に恥じない生き方をして、そこで得る経験や知識から深まって行くものだと思う。




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  by ecru-societe | 2019-10-27 14:50 | 日記 | Trackback | Comments(0)

「自立」

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先日から、長女と話そうと考えていた「自立」の意味。
今日観た映画に表現されていました。

早速、長女に連絡。
「こんな夜更けにバナナかよ」
観た事ある?無かったら是非観てみて!

「自立」とは、何でも自分で出来る様になる事にあらず。
そんな事、不可能。
「自立」とは、己を知る事にある。



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  by ecru-societe | 2019-08-16 23:29 | 日記 | Trackback | Comments(0)

自立した素敵な面々

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多くの方々のご理解・ご支援をいただき、おかげさまで、先日、結婚記念日を迎える事が出来ました。

ありがとうございます。

今日、書かせていただくのは、それと関係がある様な、無い様な話。
先月まで開催していた絵画展中に、画家の先生とキュレーターさんと話をしていた時の話です。

絵画展と言ってもひっきりなしにお客様がお越しになる訳では無く、空いている時間は色んな話をしました。

僕にとってはその時間がとても楽しく貴重な時間で、絵画作品の意図などの解釈を深めたり、またその逆で悩んだりと意味深い時間でした。

その日は、ひょんな事から夫婦の話になりました。

その会話の中でとても大好きなやり取りをご紹介します。

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色んな夫婦の話をしたその流れからキュレーターさんが言いました。

「それにしても画家先生の奥さまは、先生の事をとても大切に考えているよ」

その言葉に何の迷いも無く画家先生が答えました。

『当たり前じゃん』

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僕もこの会話。
めっちゃ当たり前だと思いました。
でも、巷でよく聞く会話とは、全く違う流れだとも思いました。

僕が巷でよく聞くと感じている会話は以下です。

「それにしても画家先生の奥さまは、先生の事をとても大切に考えているよ」

『いやいや、そんな事無いよ?』
『昨日だって家内が言うには・・・』

こんな感じです。

それが、一寸の迷いの無く『当たり前じゃん』との当たり前の返しに、素敵な面々が集まって素敵な会話を繰り広げている事が嬉しく思いました。

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先日は長女と「自立」について話しました。
長女が言うには、自立とは、最低限の事は自分で自分の事をする様になる事だそうです。
確かに!
自立とはそう言う事かも知れません。

ただ僕が感じる自立とは、また別の解釈があります。

あの日の会話がとても素敵だったのは、自立した人達が話をされていたからです。

つまり僕が考える自立とは

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「己れを知る」って事だと思うのです。

「汝自身を知れ」

全てを知り尽くす事は不可能。
知識には限界がある。
だから自分が出来る事にも限界がある。
だから人が集まって、欠けている部分を埋め合って満たそうとしている。
その事を自覚して出来るのは、自分を知ってからの事。

自立とは、他人に頼らないと言う意味では無く、自分の出来る事・出来ない事を知る事ではないか?と思うのです。

そう言う意味で、あの日の会話は、それぞれの方々(先生たち)が、立場や役割やアイデンティティなど、自身を見つめ続けて来られた先生たちが、その見地からの言葉で出来た会話なので、当たり前に素敵な会話になったのだと僕は思うのです。

自立とは、自身を知ろうと見つめ続けている事ではないか?と僕は思います。



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  by ecru-societe | 2019-08-12 00:02 | 日記 | Trackback | Comments(0)

手伝う人

本当の事をありのままで発言すると、自分の社会をコンパクトにする。
逆を言うと、コンパクトに生きていると本当の事を言える。
グローバルに生きようとする人は、本当の事をありのままには発言しづらい。
(多分、麻生太郎氏の思っている事って、余計で不確実な事を言ってしまった。。。)

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「手伝う」

この言葉に対して、あなたならどんな印象を得るだろう?
少なくとも悪いイメージは持たないのでは?

僕には、どうも不要な言葉に思える。

どう言う意味か?

その前に、50/50(フィフティ・フィフティ)で無い関係は、持続性が低いと思うし、ある意味では、どこまでいっても50/50なのかも知れないと思う。
だから、「手伝う」と言って近付いて来る人は、僕には理解し難い存在だ。

「手伝ってくれてありがとう!」って言葉はあっても、大人が「手伝ってあげる」と口にするのは、、、僕には何か大きな欠落や幼稚さを感じずにはいられない。。。

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「手伝う」

自らの考えや行動に、責任を負って生きている人が、「手伝う」と言うだろうか?「任せて」と言うのでは無いだろうか?
「手伝う」とは、責任を負いたく無い人が、責任から逃れる為の言葉だと思う。

とは言え、、、
僕は未だ、自分の事で精一杯で未熟だから、そうでは無い段階の人達の辞書には「手伝う」という言葉の意味が載っているのかも知れない。

今の僕には、「手伝う」という言葉は不要だ!



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  by ecru-societe | 2019-03-05 23:25 | 日記 | Trackback | Comments(0)

キセキ。

第三回プラチナブロガーコンテストを開催!
「自由部門に応募します」

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僕は、2005年からブログを書いて来ました。
2006年からはココでエクコミュVol03としてブログを書き出しました。

今日、昔のこの日(11/25)の記事を読み返すと、次男が僕と寝たいと言った夜の事が書いてあり、時間の経過に切なさを感じながら読み返しました。

決して戻っては来ない時間を、その時あった事や感じた事をココに残してきた事を感じ、思わず、京都で一人暮らしをしている次男に、先程ラインで連絡しました。

「今度、会わないか?」と。

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人は家族であれ親子であれ、ひとりきり。
一緒にいる時間は、刹那でキセキです。

一瞬一瞬がかけがえのない大切な時間だと気付かせてくれるのも、その一瞬一瞬をブログというカタチに残してきたから感じられるのかも知れません。

色々考えたり悩んだりしながらブログとして残して来ましたが、その事で「仕合わせ」の意味を感じられています。

  by ecru-societe | 2018-11-25 23:34 | 日記 | Trackback | Comments(0)

暮れなずむ町の光と影の中。

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もし誰かの事を、(あまり好きな言葉じゃ無いけど)信じていたとして・・・

その信じていた誰かが、例えば倫理的では無い信じ難い行動をした時。
あなたはどんな風に考えて行動するか?

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信じられぬと嘆くよりも 人を信じて傷付く方がいい ♪

一聴すると清く正しく美しい様に思えるかも知れない。
でも僕は、そうとも思えない点もある。

それがどこか?
一般的な「信じる」が、あまり好きな言葉では無い理由。
そのポイントにある。

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あまり好きな言葉では無い理由・・・

そもそも、一般的に「信じる」なんて、自分にとって都合の良いレンジ(間)に使う言葉。もしくは抑止力を有効にする為に発している言葉。

もし「信じる」を、本来の意味で使えたとしたら、「贈る言葉」の歌詞のような事にはなり得ない。

どういう事か?

「傷付く方がいい」という歌詞について

傷付く可能性を想定している時点で、単に自分にとって都合の良い状況を相手に期待していたに過ぎない事が明白だ。

信じている誰かが、例えば倫理的では無い信じ難い言動をとった時。
「信じられない!」と嘆いたり傷付いたりしているのは、渦中の信じている誰かの立場を考える訳では無く、自分にとって都合の悪い雰囲気に、自分が良ければいい言動をとった結果。つまり、自分にとって都合の良い状況を相手に期待していたに過ぎない事が解る。
(視点が自分に有り、相手の立場に立てていない点)

「自分が良ければいい」
その事自体は全く悪くない。
むしろ当然の事。それでいい。
でも問題は、「自分が良ければいい」そう思っている事を突き付けられた時、反発したり自覚が出来ていないその状態にある。

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「信じる」の本来の意味を理解した時。
信じている誰かが、例えば倫理的では無い信じ難い行動をとった結果に対して。
自らがとる行動は大きく違って来る。

先ず・・・

「きっと自分の知り得ない意味が存在するのだろう」
とか
「何か大変な事に巻き込まれてはいないか?」
とか

自分の信じる誰かを当然に「正」とした視点からの言動となるはず。

「信じられない」
とか
「傷付いた」
とかは
自分の都合が悪くなったという意味に他ならない。

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「自分が良ければいい」
それはいい。
でも自身がそうしている事を知る必要はある。

相手の目線に成れない。
眼球は自分についている。
そう知る事も必要だ。

「信じる」
基本的に自分以外の人に使わない方がいいと感じる。
もし使うなら、意味を深める必要がある。



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  by ecru-societe | 2018-08-14 17:58 | 日記 | Trackback | Comments(0)

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