統制と自由
みんなが同じ価値観である社会は、安心ができ人間関係も旨くいく。
どうすればいいのかが一致しているのでもめごとは少なくなるだろうし、善悪や良し悪しなどがはっきりしているので目標も立てやすいし、答えが出ている。
価値観が一定なので人の気持ちを察することも可能となり、人間関係も美しく見える。
でも、価値観が一定の社会は、自由があまりに少なく、個人的であることに対して軽視しがちでもある。
「みんながしているのだから・・・(わたしは我慢しなきゃ・違和感のあるわたし一人がおかしい)」
みたいな感情も湧いてくる。
もしかしたら、そんな感情が湧くことすら抑止されて、何も感じない人すら生んでしまうかもしれない。
最低限度のルールを定め、多くの部分の思考を個人に任せた社会。
正しいことは多くの部分を個人の判断に任せる社会の場合、自由で伸びやかに感じる。
でもいろいろな考え方が存在するのでコミュニケーションをとってそのつど調整していかなければならないから、もめごともたくさんあるだろうし、時間もかかる。
時には自由を履き違えていると感じる人の行動に落胆したりもするかもしれない。
でも自らも自由である。
仕事などでもいつも統制と自由の間に悩んだ。
今も答えは出ない。
でもずっと個人の力が活きる状況とそれをひとつの目標へのエネルギーに変える。
そのことを考えている。
▲ by ecru-societe | 2009-02-09 00:00 | 日記 | Trackback | Comments(0)