「大切に思っているコト」ってありますか?
大切に思っていることを貶されるような結果になったとき、まるで逆鱗に触れられた龍のように怒りなどが湧き上がるコトって、大切なモノやコトを持っている人なら経験することかも知れませんね。
人は人それぞれ考えや大切に思うことを持っていて、それは必ずしも一致するわけではなく。
そのコトにより争いが起こることもあります。
鱗を持たない人間は、なぜ龍が逆鱗に触れると怒り出すのかが解らず、逆鱗に嬰(ふ)れた龍の姿を狂気と思うのかもしれない。
それと同様、「大切に思っているコト」を軽視されたような結果を引き起こす行動をとられた結果、逆鱗に嬰(ふ)れた人を見たとき、狂気に思い
「なぜそんなに怒るのか解らない!」
「そんなに怒る必要があるの?」
と思うのだろう。
実は卒団式に来なかった6年生がひとりいた。
そのコトがとても残念で、、、
多分、チームの誰もがそう思っているのだと思う。
なぜ卒団式に来なかったのか?
具体的な内容はよくは知らない。
そこが先ず、わたし自身の問題だが、、、
(自分でちゃんと確認して自分の出来ることをしていないコトが問題)
聞いた話によると(自分で確認していないのでいい加減なことは言えないが・・・)
監督に叱られたコトが事の発端(監督の逆鱗に触れたコトが事の発端)。
監督に謝ったが許してもらえず、、、
「辞めたるわ!」ってその子の親がなってしまったようだ・・・
その後、監督から出てくるように言われたそうだが、これまた逆鱗に触れたのか?
みんなまともな人間だ。
そのまともな人間がどうして激怒をしなきゃいけなかったのか?
そのコトが問題で、激怒したことは最善ではないかもしれないが、ひとつの表現だと思う。
大切に思っているコトを解ってもらいたいから怒るのだと思う。
解ってもらうのに「怒り」が最善の表現方法では無いときがあるかもしれない。
でも、どれだけの人間がいつも最善の表現方法でコミュニケーションをとっているのだろう?
最も大事なのは伝えること。
大切に思っているコトを解ってもらいたい。
多分互いにそうなだけで・・・
しかも誤解がある気がして残念だ。
「怒り」は嫌っているからではなく、その逆で想っているから出てくる感情だった。
いや!自分に向けての感情があるコト自身がありがたいことで・・・
無関心ではないということ。
「事なかれ主義」でタブーに触れないように見て見ぬふりをするより、怒りをあらわにされる方が幸せなことは、中々解らないことなのかも知れないけど事実だ。
ひとり足らないまま卒団式を終えてしまったのはすごく残念で、自分に何が出来たのか?自分に何が出来るのか?
そう考えていると中々眠れず・・・。
何もしないより、何かしないと。
結果を出す為には失敗しないと。 失敗を恐れず行動を起こさないと。
そんな姿を子供たちに見せないと・・・。